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2023年09月04日

ダンスを糧に脊髄梗塞の困難を乗り越える 自分のありのままの人生を受け入れる

HealthDay News

脊髄梗塞を経験したダンサー、無限の可能性に向け生涯にわたる挑戦――AHAニュース

 米国カリフォルニア州で幼少期を過ごした日系人女性、Marisa Hamamotoさんは、白人が多数を占める環境のなか、自分が部外者のように感じながら育った。

 学校では見た目の違いのためにいじめに遭うこともあり、自分がクラスの一員だと実感できなかった。

 しかし、彼女がダンスを始めた時、全てが変わった。

 「私は、ダンスが人々を結びつけることを知った。唯一の有色人種の少女であった私だが、音楽に合わせて体を動かしている時は、そこに自分の居場所があると感じることができた。ダンススタジオでは、私もクラスの一員だった」。

 10代になると、彼女はプロのバレリーナになることを夢見始めた。しかし、成長するにつれて彼女の体格は、バレエに適した体つきでないことが分かってきた。柔軟性も不足していた。

 それでも諦めることができず、夢を追いかけるために大学進学を延期しカリフォルニアを離れ、ニューヨークでの生活を始めた。ところがある日、ダンス中に腰を負傷。それをきっかけにスポーツ医学に関心を移した。

 ダンサーに対するケアの方法を身に付け、かつ、自分自身のルーツを知るために日本に移住し、慶應義塾大学に入学してスポーツバイオメカニクスの修得を始めた。自分の外見から、米国よりも日本での暮らしの方が馴染めるだろうとも考えていた。

 しかし、彼女は日本語を話し見た目も日本人らしかったが、行動や話し方は米国人だった。「自分の居場所はそこでも見つけられなかった。やはり私の居場所はダンスだけだった」とHamamotoさんは振り返る。

 2つの出来事が、彼女の情熱を再び燃え上がらせた。1つは腰の調子が改善したこと。そしてもう1つは、バレエからコンテンポラリーダンスに転向するという重要な変化だ。

 やがてダンサーとしての役を獲得。彼女はプロとしてのキャリアへの希望を取り戻した。

 ところが、彼女のキャリアを脅かす事態が発生した。ある夜遅く、東京のスタジオで激しいコンテンポラリーダンスのクラスの最中に、彼女は突然倒れた。動くことができなかった。クラスメートたちは彼女をタクシーで病院へ運んだ。

 医師たちは、彼女が無理をしすぎただけだろうと考え、帰宅させようとした。しかし、「その時、私の体で唯一、ふつうに機能していたのは声を出すことだけだった」と語る彼女は、自分から「神経内科医の診察を受けたい」と要求した。

 いくつかの検査の結果、脊髄梗塞が起きていることが判明した。脊髄梗塞は、血栓によって脊髄の血流が遮断されて生じる、まれで重篤な疾患だ。

 医師は、「再び歩くことは難しいかもしれない」と伝えた。「踊れないとしたら、私の人生に何の意味があるの?」と彼女は考えた。

 最初、彼女が動かせたのは首だけだった。しかし、しばらくするとつま先を動かせるようになり、次に足を動かせるようになった。

 約1ヵ月後には、助けがあれば立てるようにもなった。作業療法と理学療法を続けながら、スプーンをもつことや肘を上げるなどの単純な動作でも、自分の体のコントロールが必要であることを学び直した。

 「ダンサーとして、膝を上げる方法も1パターンではないことを知っていた。私は医療スタッフが求めている以上のことを目指した。頭のなかで聞こえる音楽に合わせながら、彼らから教えられた動きを基礎として、自分でエクササイズを考え出した」と彼女は語る。

 そして2ヵ月を経ずして歩けるようになった。ただし、再び踊るのは怖かった。発作の再発も心配だった。

 そんなある日、Hamamotoさんはあるパーティー会場で、サルサダンスのインストラクターが人々に簡単なステップを教えている場面に遭遇した。誰もが楽しそうにしている様子を見て彼女は驚き、そして「ダンスの楽しさが体に戻ってくるのを感じた」という。

 彼女はすぐにダンスクラスに戻り、パートナーとともに踊ることの素晴らしさを探し始めた。サルサから始めたがそれはすぐに社交ダンスにつながり、Hamamotoさんは社交ダンサーとして、そしてインストラクターとしてのキャリアを築くために、カリフォルニアに戻った。

 帰国後、彼女のもとへ、パーキンソン病の生徒たちを教えてくれる人を探しているという人があらわれた。もちろん彼女は引き受けた。

 そして、「その時に私はダンスの真の力に気づいた」という。パーキンソン病患者は自分の体を自由に動かせない。「それにもかかわらず、音楽をかけると彼らは私のほかの生徒と大差なく動ける。ただただ驚いた」。

 この経験が、障害をもつ人々にダンスを通じて何らかの働きかけができるのではないかと考えるきっかけになった。やがて自分の体験を思い出し、車椅子ユーザーでもダンスの効果を得られるのではないかと考えた。協力してくれるパートナーをオンラインで探し求め、車椅子のボディービルダー、Adelfo Cerameさんに出会った。

 2005年に交通事故で麻痺を負ったCerameさんは、ダンスの経験はなかったが、「新しいことにオープンだった私の可能性を彼女が見つけてくれた。私は事故から10年が経ち、自分のありのままの人生を受け入れられるようになっていた」と当時を思い出す。

 2人は、車椅子ユーザーがどうすれば、ほかの人たちとともに踊ることができるか模索し始めた。試行錯誤を重ね、最終的に2人は観客の前で踊るようになった。いろいろな場所でプロとしてパフォーマンスをする機会が徐々に増えていった。

 このような経緯が、Hamamotoさんによるプロダンサーの非営利団体「Infinite Flow Dance」創設につながった。

 Infinite Flow Danceは今、障害の有無にかかわらずダンサーを雇用し、イベントなどでパフォーマンスを繰り広げている。

 彼女は、「ダンサーになろうと何年も闘い、自分には無理だと感じることもあったが、ついにダンサー、そしてアーティストとしての生き方を見つけた」と回顧し、さらに「われわれの団体は、みなさんにも同じことを実現する機会を提供し、無限の可能性を示している」と語っている。

[American Heart Association News 2023年8月23日]

American Heart Association News covers heart and brain health. Not all views expressed in this story reflect the official position of the American Heart Association. Copyright is owned or held by the American Heart Association, Inc., and all rights are reserved. If you have questions or comments about this story, please email editor@heart.org.
Photo Credit: Marisa Hamamotoさん(本人提供)

[ Terahata ]
日本医療・健康情報研究所

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