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2012年11月14日

インスリン治療を続けて50年以上 第10回「リリー インスリン50年賞」

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1型糖尿病
 第10回「リリー インスリン50年賞」受賞者が、世界糖尿病デーに合わせて、11月7日に発表された。第10回となる今年は、過去最多となる合計11人(男性4人、女性7人)が受賞し、表彰状とメダルが授与された。
苦難を乗り越えてインスリン治療を50年以上継続
 「リリー インスリン50年賞」賞は、インスリン治療を50年以上継続している糖尿病患者の長年の努力を称えるもので、受賞者が他の糖尿病患者に勇気と希望を与え、治療に前向きに取り組む目標になってもらうことを願い設立された。

 インスリンは20世紀最大の医薬品の発明ともいわれる。インスリン製剤の歴史は、1921年にカナダ・トロント大学のフレデリック バンティングとチャールズ ベストが膵臓からの抽出物が血糖を下げることを発見したことに始まる。1922年に膵臓抽出物が1型糖尿病の少年に初めて投与されて劇的な効果を示し、「インスリン」と命名された。当時の糖尿病は死に至る病気と恐れられていたが、少年は見違えるほど回復し、インスリンはミラクル(奇蹟の薬)といわれるようになった。

 イーライリリー社が世界で初めてインスリン製剤化に成功したのは1922年、23年の終わりには「アイレチン」の商品名で多くの患者がインスリンの治療を受けるにいたった。日本では1923年に輸入されインスリン治療が開始された。2013年にはインスリン発売から90年を迎える。

 「インスリン50年賞」は、1974年に米国で設立された。これまでに米国を中心に1500人以上の患者が受賞しており、日本でも2003年の表彰が開始され、合計51人が受賞している。「糖尿病は日常生活での患者自身による管理が重要とされる。これを半世紀にわたって取り組んできたことに敬意を表し、糖尿病患者の手本となるべき人を表彰することで、他の糖尿病患者に勇気と希望を与えたい」という想いが同賞には込められている。

 当日は受賞者11人のうち、表彰式に出席した8人にそれぞれ表彰状とメダルが授与された。インスリン治療歴51年の古賀幹人氏は、自身がインスリン治療を続けながら、精神病院の院長として患者の治療にあたってきた。「糖尿病の治療を負担に感じたこともあったが、長生きをすることができたのは、インスリンと出会うことができたから」と話す古賀氏。「妻や主治医の先生に支えられて、血糖コントロールを続けることができた」と、家族や周りのサポートがなければ受賞することができなかったと語った。

 イーライリリー社は、1982年に遺伝子組換えによる世界初の医薬品ヒトインスリンを発売し、1996年には超速効型インスリンアナログ製剤「ヒューマログ」を発売した。インスリン製剤の開発により、より生理的なインスリン動態に近づけることが可能となり、多くの糖尿病患者の血糖コントロールに役立てられている。

 インスリン製剤は、死の淵にあった多くの1型糖尿病患者の命を救い、劇的に病状を改善した。しかし、受賞者がインスリン治療を開始した当時は、現在では考えられない多くの困難を強いられていた。初期のインスリンは精製が不十分で、インスリン注射にはガラスの注射器と針を煮沸消毒して繰り返して使っていた。そのため、インスリン治療は煩雑で、太い針のためかなりの痛みを伴っていた。

 日本糖尿病学会理事の植木浩二郎先生は、「インスリン製剤が進歩し、血糖コントロールがしやすくなっているとはいえ、食事や運動などの生活管理や注射のタイミングなど、患者の苦労は計り知れないものがある。そんな中、50年間継続してきたことに敬意を表したい」と、受賞者たちのインスリン治療に対する真摯な態度に感動の意を表していた。「1921年のインスリン発見は画期的だった。糖尿病患者が人生をよりエンジョイできるような治療を見出すために、今後も研究や診療を続けていきたい」と語った。

 日本糖尿病協会理事の内潟安子先生は、「今回受賞した11人のうち6人が小児期に発症し、家庭や学校、職場で多くの困難を乗り越えてきた。50年前は、現在のような病態に合わせたさまざまなタイプのインスリン製剤や痛みの少ない注射針は開発されておらず、治療は血糖値がとにかく高くならないようにするというものだった。当時の苦労について、患者から教えられることが多い」と、受賞者たちを労うお祝いの言葉を述べた。

 「リリー インスリン50年賞」受賞者プロフィールは下記サイトで紹介されている。
日本イーライリリー
Diabetes.co.jp - 患者さん向け糖尿病情報サイト

[ Terahata ]
日本医療・健康情報研究所

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