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2011年11月21日

インスリン治療を続けて50年 第9回「リリー インスリン50年賞」

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医薬品/インスリン
 日本イーライリリーは、インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病患者を表彰する第9回「リリー インスリン50年賞」の表彰式を、11月8日に東京で開催した。

 「リリー インスリン50年賞」は、インスリン治療を50年以上継続している糖尿病患者の長年の努力を称えるために、1974年に米国で設立された。これまでに米国を中心に約1500人以上が受賞しており、日本でも2003年以来、40人が受賞している。

 第9回となる「インスリン50年賞」を今年は7人が受賞した。受賞者らは、表彰式で50年以上にわたる糖尿病との付き合い方を振り返りながら、家族や主治医などへの感謝や他の糖尿病患者への励ましのメッセージを力強く話した。受賞者には、名前を刻印した特製の純銀製メダルと、世界糖尿病デーのシンボルカラーに染められた「青いバラ」が贈られた。

最初のインスリン製剤はミラクル(奇跡)だった
 「インスリン50年賞」の受賞者がインスリン治療を開始した当時、インスリン製剤や注射針、注入器、検査方法などは開発の途上にあり、患者らは現在では考えられないような困難な治療を強いられていた。インスリン治療の50年以上の継続は驚異的なことだ。

 こうした糖尿病患者の頑張りは、他の糖尿病患者が治療に前向きに取り組む目標となり、勇気と希望を与えてくれる。

 イーライリリー社がインスリン製剤の実用化に成功したのは1923年。当時インスリンはミラクル(奇跡の薬)といわれるほど重要な薬だった。それ以来、インスリン製剤と糖尿病治療はめざましい進歩をとげた。

 当初、インスリンは動物の膵臓から作られ、多くの不純物が含まれていた。そのために、アレルギー反応や作用時間の不安定などの問題があった。その後、遺伝子組み換え技術が進歩し、ヒトインスリンが登場し、さらにはヒトインスリンのアミノ酸構造を変化させたインスリンアナログ製剤が登場した。

 イーライリリー社が遺伝子組換えによる世界初の医薬品ヒトインスリンを発売したのは1982年のこと。さらに同社は、1996年に超速効型インスリンアナログであるリスプロインスリンを、2006年にインスリンリスプロ混合製剤を発売した。

 現在では、インスリン治療をとりまく環境は大きく改善されている。作用発現時間や作用持続時間を変え、より効果的な治療を可能とするインスリン製剤が使われている。技術の進歩により、インスリン注射の針も改良され、ほとんどの人は注射していることさえも感じないほどになった。

 インスリン自己注射は1型糖尿病だけでなく、2型糖尿病にも広く治療手段として受け入れられている。

インスリン治療 半世紀の道のり
50年でインスリン治療は大きく進歩した
第9回「リリー インスリン50年賞」受賞者
注:他の3人の受賞者は、本人の希望により情報は未公開。

患者さん向け糖尿病情報サイト Diabetes.co.jp(日本イーライリリー)

リリー インスリン50年賞
過去のインスリン50年賞の受賞者が紹介されている。

 富山県在住の荒井弘さんは、14歳で糖尿病を発症し、インスリン治療歴は50年。発症した頃は1週間も意識不明になったり、肺水腫で入院したり、眼底出血がみつかったりなど、闘病生活で何度も重篤な状態を乗り越えてきた。現在は週3回人工透析を受けながら、仕事を続けている。血糖自己測定を始めてから20年以上にわたり、新たな合併症はなく、HbA1cが5前後と、良好なコントロールを続けている。

 「闘病生活には大変なこともあったが、素晴らしいめぐりあいもあった。合併症が進めば応援してくれた方に申し訳ない」と荒井さんは言う。

 東京都在住の清水みち子さんは、19歳で糖尿病と診断を受け、57年のインスリン治療歴をもつ。清水さんは「入院先の病院で、インスリン治療が始まったが、当時はインスリンはツベルクリン注射器で打っていたため、痛みも強く、注射痕が化膿することもあり、つらい治療だった」と回想する。

 清水さんは出産を経験したが、当初は「リスクのつきまとう妊娠と出産には、周囲の心配もあり踏み切れずにいた」という。しかし、主治医の「大丈夫だから、産めばいい」というアドバイスと支援に力を得て、40歳のときに無事に出産した。生まれた娘はすくすくと育ち、現在では結婚して独立している。

 千葉県在住の鋤柄恵一さんは、「インスリン治療は自分にとってメガネをかけるようなものだと思っている」と言う。鋤柄さんは小学3年生の時に糖尿病と診断され、インスリン治療を開始した。

 現在のインスリン治療では、極限の細さを追求し痛みを軽減した注射針が使われているが、当時はそうした注射針はなかった。インスリン治療に入り1日1回インスリン注射が始まると、注射をしてくれた母親は「針を刺すたびに気の遠くなる思いだった」という。

 現在ではほとんどの都道府県で開催されている小児糖尿病サマーキャンプは、1963年夏に丸山博博士がはじめて千葉県勝山海岸で開催した。鋤柄さんはそのサマーキャンプの参加者のひとり。「糖尿病や療養について学ぶ勉強会に参加して、糖尿病についてよく理解できるようになった。生涯にわたって交流を続けられる仲間とも出会えた」と鋤柄さんは振り返る。

 東京都在住の湯本節子さんは、1954年に治療を開始し、57年のインスリン治療歴をもつ。表彰式では、次女の河西邦子さんがメッセージを話した。

 湯本さんは35歳のころに糖尿病と診断されて以来、親身になって糖尿病療養を指導してくれた主治医、周りでサポートをしてくれた家族とともに、糖尿病治療の進歩を身をもって生きてきた。インスリンを注射している以外は普通に家事や育児をこなし、「治療を大変だと思わず自然体で受け入れてきた」と話した。

 「インスリンがなければ長生きできなかった。現在では平穏な幸せをかみしめている」と河西さんは感慨深く述べた。

患者さん向け糖尿病情報サイト Diabetes.co.jp(日本イーライリリー)

[ Terahata ]
日本医療・健康情報研究所

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