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2010年04月20日

糖尿病とともに エクアドルの1型糖尿病患者さん

 南米エクアドルで小児糖尿病患者さんを支援する活動をしているFUVIDA(Fundacion Aprendiendo a Vivir con Diabetes)をご紹介します。FUVIDAは、オーストラリアを拠点に活動しているNGO「インスリン・フォー・ライフ(IFL)」をパートナーに、1型糖尿病患者さんを対象にサマーキャンプを開催するなど、さまざまな活動をしています。

 エクアドルは、日本からみると太平洋を挟んだ反対側の南米西部にある国です。成人の糖尿病有病率は5.5%、1型糖尿病を発症する子供(14歳以下)の比率は、年間10万人当り1.3人です。

 近年では安定した経済成長をとげていましたが、政情不安が続いた期間が長く医療体制が整備されおらず、十分な治療を受けなれない糖尿病患者さんが多くいます。

 下記はエクアドルの1型糖尿病患者 ジンジャー アンチュディアさんが書いたものです。FUVIDAとIFLより送信してきた資料をもとにしています。

エクアドルで糖尿病とともに生きる
ジンジャー ロシオ アンチュンディア ボニージャ

Ginger Anchundiaさん
 私は12歳で、エクアドルにある大きな町グアヤキルに住んでいます。2009年7月21日に糖尿病であることが分かりました。

 私はすでに痩せていました。そのときは、学校で整列して立っていて、急に頭痛がして息苦しくなり、気を失いそうな状態で、とても気分が悪くなりました。すぐに教室に運ばれ、先生たちが母に電話をしました。母は驚いて学校に飛んできました。そして、家に帰り、お医者さまに診察してもらいました。家に帰ってからも、吐き気に襲われました。

 病院に行き、薬をもらったのですが、困ったことに、お医者さまも私の体調不良の原因が分かりませんでした。それで家に帰りました。たくさんの薬を飲み始めたのですが、症状は良くなりませんでした。


医療スタッフとともに
 お医者さまたちは病院で血液検査をしましたが、血糖値を測りませんでした。2日経っても症状は悪くなるばかりで、再び病院に行きました。私は、どうしてよいか分からないまま、呼吸困難になってしまい、救急病棟に運ばれ酸素吸入を受けました・・・。そして私は昏睡状態に陥り、4日間、意識を失った状態になってしまいました。それでもお医者さまたちは原因が分からないままでした。

 それからさらに検査をし、ようやくお医者さまたちは私が“糖尿病”であることが分かったのです。しかし、私の両親は“糖尿病”が何たるものか分かりませんでした。家族に誰も糖尿病患者がいないので、家族は皆、驚きました。

 糖尿病と診断されてから、お医者さまたちは私にインスリンを注射しました。夜2回注射されることが怖くて信じられませんでした。病室に友達もなく1人でいることも怖くて、よく眠れませんでした。眠ろうとしても、腕にカテーテルを入れられていたので動くことができず、よく眠れませんでした。

 やがて、別室に移ることになり、そこで糖尿病歴6年の女の子と一緒になりました。彼女は「FUVIDA」のことを話してくれました。FUVIDAは糖尿病の子供を助けてくれるそうです。両親とお医者さまたちが、FUVIDAのアラセリーさんに電話をしました。すると翌日に、アラセリーさんが尋ねてきてくれました。とても早く来てくれたので驚きました。

 アラセリーさんは、インスリン、測定チップ、ランセットなどを渡し、糖尿病について教えてくれました。その日から、私は1日3〜4回、血糖値を自分で測り、インスリンを注射しています。

 退院してから、FUVIDAを訪ねました。皆さんが温かく迎えてくれ、いまでも両親とともにFUVIDAのミーティングに通っています。両親が糖尿病について勉強している間、私と同じように糖尿病をもつ友人たちとお喋りしたり、遊んだりできるし、糖尿病とFUVIDAについて必要なことを知ることができるので、とても幸せです。

 FUVIDAは素晴らしいプログラムです。糖尿病についての教育と情報提供をしてくれます。私は糖尿病とともに生きていますが、若さと幸せを感じることができるようになりました。だからFUVIDAのプログラムは最高と言いたいです。

 日本の国際糖尿病支援基金(IDAF)は、糖尿病患者への支援活動を世界的に行っているオーストラリアの「インスリン・フォー・ライフ(IFL)」やインドの「ドリーム・トラスト」に賛同し、十分な治療を受けられない途上国の糖尿病患者さんを支援するために基金への寄付とご協力を広く呼びかけています。

[ Terahata ]
日本医療・健康情報研究所

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