糖尿病と妊娠
2011年11月09日
計画妊娠の実際
前回の連載「計画妊娠とは」で、元気なお子さんを生んで頂くために、糖尿病における計画妊娠とはどういうものか、どんなメリットがあってどうすればよいかなどについて記述致しました。
今回は計画妊娠の実例として、糖尿病を持たない健常女性の妊娠と全く同じく、母兒共に合併症のない良い分娩結果を得ることができた方をご紹介しようと思います。
さらに成長されたお子さんが、母親のインスリン注射や低血糖などをどのように捉え対応しているか、糖尿病のセミナーで受けた質問に対するお答えを資料としてお借りすることができましたので、公開させて頂き、皆様と感動を共有したいと思います。
計画妊娠の実際
ここでもう一度簡単に、計画妊娠のまとめと、前回述べられなかった計画妊娠の実際を復習しておきます。計画妊娠とは生まれて来るお子さんの奇形を予防するために、受胎前のHbA1cを7%以下に保ちながら、母親の糖尿病合併症、つまり網膜症や腎症が妊娠によって悪くならないように、合併症の再チェックを受け、必要があれば網膜症の、腎症の治療を受けてから主治医の許可を得て妊娠することです。
これに付随した計画妊娠の実際として
- 毎日基礎体温を測る。
- 飲み薬で治療している方は、インスリン治療に切り替える。
- 肥満者はできるだけ、妊娠前に標準体重に近づける努力をする。
- もう一度食品交換表に則って食事療法を見直しておく。
- 正常血糖に近づけるため血糖自己測定法を十分マスターしておく。
- ご家族には妊娠初期に起こりやすい低血糖について学習して頂き、グルカゴンの筋肉注射を含めた低血糖の治療法を知ってもらう。
- ご自分はむろんのこと、家族で糖尿病と妊娠に関する知識を積み重ねておく。
これらのことを実行すれば、本当の意味の計画妊娠を具現することができます。
計画妊娠のひとつの軌跡
本による出会い、入院
1987年(昭和62年)、私は自分の悲しい死産の体験を基調に、糖尿病の人々がもつ悲惨な妊娠結果を良くするために『女性のための糖尿病教室-妊娠・出産を安全にするー』という患者さん向けの本を出版しました。それは表題が示すように、糖尿病者の妊娠出産に関する手引き書で、[第1章]生と死、悲しい思い出、こうして糖尿病妊婦の出産が可能に、[第2章]糖尿病とはこういう病気である、[第3章]糖尿病と妊娠のかかわり合いなど、などを盛り込んだものです。
これは、近代医学が始まって以来、日本で初めて出版された糖尿病と妊娠に関する書籍として、マスメディアにさかんに取り上げられ、全国の書店に並べられました。
19歳で1型糖尿病を発症した飯田智恵さんと、この本がご縁で、出会うことができました。昭和62年出版直後のことです。
飯田さんは、この時29歳で既に10年の病歴があり糖尿病では妊娠継続は不可能であると、人工流産をさせられた経験を持っていました。やっとできた胎児喪失の悲しみと、糖尿病を持つことをご主人に対してどれほどすまなく辛く感じていたことでしょう。
彼女は私の本を読んで、糖尿病があると妊娠出産はできないというのは間違いであることを知り、すぐ関西から上京し東京女子医大糖尿病センターに入院しました。
合併症も無いので正常血糖を目標に、万全のコントロールを整え、奈良に帰ってすぐ妊娠しました。
はじめての糖尿病合併妊娠例として
地域の大病院でも、当時まだ糖尿病合併妊娠の出産例はなく、第1例目だったそうです。しかし医療者の暖かく手厚い治療で問題の無い健常な女児を出産されました。30歳の時です。常にコントロールは良く合併症もないので、34歳で次女も出産しています。
ご本人はいま53歳、長女が社会人1年生、次女大学1年生です。
みごとなその後
2002年(平成14年)、奈良で日本糖尿病・妊娠学会が開かれた時、私はこの実に和やかかつ、爽やかなお子達に初めてお会いしました。飯田ご夫妻とは16年ぶりの懐かしい再会でした。
ここに掲げるお嬢さんの質疑応答は、平成22年7月仙台で行われた「1型糖尿病セミナー」の記録だそうです。セミナーにおける長女めぐみ様への一問一答です。
Q1.お母様の糖尿病をいつどのように理解しましたか
A 特別にきちんと理解した時期というのはなかったような気がします。生まれてから、家に注射器があって、母がご飯の前にそれを打つ・・・。それはとても当たり前の光景でした。母には必要なものだなと漠然と感じていたのだと思います。
そして、私は患者会に小さな時から家族で参加していたので、そこでの勉強会や同じ病気をもつ同世代の友達からのレクチャーで、少しづつきちんと理解していったのではないかと思います。
また母が幼い私達にも、子ども扱いすることなく説明し、頼りにしてくれていたことがとても大きかったと思います。それが私達の誇りでもありました。小さいながらに「お母さんを守る!」と張り切っていたのだと思います。
ひとりの「人」として対等に関わってくれたことで、「私達も理解したい!」と思えたのだと思います。
Q2.血糖コントロールのサポートについて
A コントロールは母がきちんと自分で行っているので、私達家族は低血糖のときのサポートを行うくらいです。
母が低血糖になりそうな時をキャッチし、さりげなく「食べる?」と促したりします。でもそれは特別なことではなく、靴紐が解けそうになっている人が紐を結び終わるまで待っていることと、なんら変わりのないことだと思います。
また、母は低血糖になると素直に食べてくれないので、そこを「これ新発売のジュースやで!」「めっちゃおいしいで!」などいいながら食べさせるのが私達の役目です。
母に食べてもらえるようにするのは、誰よりも私と妹が一番上手だと思っています(笑)。
Q3.家族として
A 1型糖尿病であることは母のほんの一部です。けれども、この病気があるからこその「強さ」「優しさ」でもあるとも思います。
母は病気と闘いながらも頑張って私と妹を生んでくれ、その病気を逃げにすることなく、家事もバリバリ、テニスもバリバリ、患者会の活動もバリバリ、私達の学校行事にもバリバリ参加してサポートしてくれます。
娘の友達ヤテニス仲間から「めっちゃおもしろい、元気な母さんやね!」といわれて「ニヤッ」と笑う母が大好きです。そして、そんな母に強い尊敬の念を抱いています。
何があっても「尊敬」の気持ちがあるので、私達は母に逆らえません・・・(笑)。でも、家の中にそういう人がいるのはとても素晴らしいことだと思います。「この人を超えられるのだろうか・・・」と私達にとって母は大きな壁となり、目標となってくれています。そして、母の病気があるからこその「家族の絆」はとても強いものだと思います。
母と娘の関係でいえば、お腹にいるときから共に戦ってきた戦友でもあり、夫婦の関係でいえば発症当初から支え合ってきた旧友でもあります。だからこそ、私達は家族より「仲間」という意識の方が強いのかもしれません。
私達は、この1型糖尿病を通じて、より強い絆を築いていける、そういった素晴らしいチャンスを得られたのだと思います。そのチャンスをくれた1型糖尿病に感謝しています。
性格や頭脳、才能は計画妊娠と関係ありませんが、なんと羨ましい、あっぱれなお答えでしょう。此の症例は計画妊娠のひとつの理想の姿ではないでしょうか。
※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。
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