DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2017年10月04日

第20回 一生続く不安と、どう向き合えばいいのか

第20回 一生続く不安と、どう向き合えばいいのか

 「つまりね、1型糖尿病である、あなたの人生は、健常者の人生に比べると不安がひとつ多いのよ」

 恵比寿の飲み屋で酒を飲みながら、「彼女」ではない友人の女の子が僕に言った。気の強い子で、その日はその子の引越しを手伝わされた。駅から徒歩3分の3LDK、壁紙の白い部屋で、ブラウン管の巨大なテレビを設置したり重い家具を運んだり、と散々こき使われた。

 そのお返しに、その子のおごりで、僕らは食事をしていた。僕は車で来ていたので、向こうだけが酒を飲んでいた。

 「僕の人生を要約すれば、確かにそうかもしれない。ただね、その糖尿病の不安が、また別の不安、たとえば合併症への不安や寿命への不安も生むから、僕はいつも不安だらけなんだよな…」

 率直にネガティブな意見を返してみたが、彼女の反応はなかった。まあ、いいや。僕はうまそうな赤身の鮪をしょうゆにつけて、ペロリと食べた。僕の横では、無表情の彼女がぐいっと日本酒を飲んだ。

 僕は、もう一度、彼女にくらいつく。

 「じゃあ、君の言うひとつ多い不安と闘うために、僕はどうしたらいい?」

不安との接し方

 笑いながら彼女は言う。

 「不安は闘うだけが全てじゃないの。時には避けたり、忘れたりしたっていいのよ。昔から、あなたって何かがあれば真正面からぶつかるのが好きだけれど、真正面からぶつかるだけが能じゃないのよ。不安との向き合い方は、今後のあなたの人生に与えられた課題だと私は思う」

 同い年の女の子にこうも簡単に、僕の人生を要約され、課題まで与えられるなんて、なんだか腹がたった。

 おまえに分かるか、1型糖尿病の辛さが、と僕は心の中で呟いた。

 その女の子とは、学生時代に知り合いになった。そして、今や、その子は医師免許を取得して、ドクターになろうとしていた。

 いつも僕がネガティブになっているときに、なぜか、その子は僕を呼んでは何かを手伝わせた。ドライブに連れてけ、とか、ゴルフの練習をしているから迎えに来い、など、ありとあらゆることを理由にして僕を呼び出した。そして、最後には、いつもこうした1型糖尿病との議論に発展した。

 1型糖尿病を患っている僕は、好きな女性を本当に守っていけるのか。とか、

 低血糖を自覚できなくなる症状があるって話は本当なのか。

 誰もいないところで、低血糖昏睡が起きたらどうしたらいいのか。

 HbA1cが最近、ずっと8.5%(JDS値)を超えているけど、大丈夫なのか。

など、普段の病院の診察では話しにくい僕の未来への暗澹たる不安を、僕はいつも、その子へ話した。

 その女の子は医大を卒業したあと、耳鼻科に進む予定らしかった。なんで糖尿病内科じゃないの?と僕は反論しそうになったけれど、論戦にまた火をつけるのはやめておいた。ただ、何度もこうした議論を重ねるうちにいつしか

 健康な人より、ひとつだけ不安の多い人生なのかな、

と僕は素直に感じることができた。

車を売るための手段

 束の間の休息も終わると、また、仕事、仕事の連続だった。その上、時間がない、という強迫観念にかられていたので、本当に短時間で、たくさんの車を売らねばならなかった。だから、たくさんのお客さんに接触してみたけれど、こういう精神状態では車はもちろん売れるはずもなかった。 ある日僕は1日中バスに乗り続けて、車窓からの景色を見ながら、いろいろと営業について考えてみた。

 車の営業は、とにもかくにも、顔と名前をお客さんに覚えてもらわなければならない。そのためには、お客さんと会っているか、話している間に、いかにインパクトのある言葉を残せるか、が重要なのだ。それも、嘘をつかずに。だから、顔の黒い〇〇です、とか、会社で一番ノッポな○○です、など自分の外見をセールストークにしている先輩や同僚もたくさんいた。見栄も外聞もかなぐり捨ててのセールストークは、なかなか切れ味が鋭い。そして、そういう営業マンは、実際に車も売っていた。

1型糖尿病は武器になるのだろうか

 もしかしたら、1型糖尿病だって、使えるはずだ、と僕は閃めいた。

 初めまして、1型糖尿病の遠藤でございます。

 よし、敬語も悪くない。

 そして、僕は、このセリフを300名近いお客さんに伝えてみた。けれども、残念なことに、お客さんの心に届くようなセリフではなかったらしい。なぜなら、たいていのお客さんは、

 「あなた糖尿病なの、痩せているのに…」

 こういう反応になってしまうのだ(笑)。あまりに希少な1型糖尿病。そして、糖尿病と言われれば、僕は1型です、と必ず反論したくなるのが僕の1型糖尿病のサガ。ただ、ここで、1型と2型を躍起になって説明すれば、それこそ自動車を売ることからはますます遠ざかってしまうし、本末顛倒になるのが目に見えていた。

 その上、僕のお客さんには整形外科のドクターもいたし、開業している内科医もいた。そういうドクター達でさえ、1型糖尿病という言葉に関心をよせることはなかった。

 ただ、これを機に、使えるものがあれば、何でも使って車を売ろう!と僕は考えた。バスの中で、ボーッと流れる雲を見ながら、仕事のことをアレコレ考えているうちに、変な不安は遠ざかっていった。

 よし、もう少しがんばってみよう、そう思いながらバスのステップを降りた。夕暮れどきだったので、カラスがカーカーと鳴いていた。今日は仕事をサボってしまったという懺悔の念を抱えながら、僕は歩いて会社に戻った。

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