DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2016年08月01日

第12回 仕事に打ち込む夏 ―データか、センスか―

仕事に打ち込む夏 ―データか、センスか―

 全てのものを犠牲にして、車を売ることに全神経を集中した僕には、車を売ること以外の何かをするための時間はなかった。そのため、部屋の掃除もしなくなったし、朝ごはんもロクに食べなかった。忙しければ昼ごはんも抜いた。

 食事もロクに(規則正しく)食べなかったので、当たり前にように血糖値を測る回数は減った。しかし、なによりも、糖尿病になって十数年で培ってきた、穿刺針も試験紙もいらない自分だけの「体内測定器」を信じて、僕は仕事に邁進した。

噴き出る汗・めまい

 最悪だったのは、夏にやる飛び込み訪問だった。それはつまり、僕の目の前に立ちはだかるインターホンとの闘いだった。ボタンを押せば、ピンポーンとなる普通のインターホンから、ピンポンピンポンと2回こだまするもの、はたまた、音楽が流れるもの、ときにはボタンを押しても鳴らないインターホンまで(たぶん電池切れではなくて、何らかの仕掛けがしてあるインターホンだ)、本当に、種々雑多なインターホンと僕は巡りあった。

 インターホンは大まかに分けると2種類のものがある。音声だけのインターホンと、カメラが付いているものだ。だから、僕は、インターホンのボタンを押す前には必ずと言っていいほど、ネクタイを締め直すとか、大声で挨拶する、とか、何かしらの準備をしなければならなかった。

 しかし、準備を整えてボタンを押したところで、ほとんどのインターホンは30秒以内に、早ければ僕が名前を名乗る前の10秒以内に、ガチャンという受話器を置く音がして、僕とのコミュニケーションを一方的に切断した。その後、インターホンと僕との間に沈黙が流れた。

 ただ、今、「夏は最悪だ」と書いたのは、そういうインターホンの話ではない。僕の体内測定器の話である。夏には決まって、暑いからなのか、低血糖からなのかわからないが、淀みなく噴き出てくるマグマのように汗をたくさんかいた。バスタオル1枚が汗をスポンジのように吸収して、そのまま搾れるくらいの無尽蔵の汗の量だった。気が遠くなるような妙な感覚になったこともあるし、めまいがしてふらつくこともあった。

 血糖値を測るのが煩わしかった僕は、そういう症状に襲われたとき、いつものようにすべての責任を低血糖に押しつけた。いつものように、赤い自動販売機で、疲れも取り、低血糖を回避してくれる甘い清涼飲料水(今で言うエナジードリンク。当時はそんなかっこいい名前はなかった)を買って飲んだし、無糖よりも血糖値を上げてくれる甘い缶コーヒーも飲んだ。そして、暑い夏の昼を活動的に過ごして、夕食前にその日初めて測った血糖値は、だいたいいつも200mg/dLをオーバーしていた。

 またか。

 あの汗や、気が遠くなる感覚は本当に低血糖の症状だったのだろうか。 一応、ため息をついてはみた。ただ、深く考えている暇はなかった。 僕は仕事で忙しかった。

気づかずに失い続けているもの

 僕の会社は、都心の最高級ホテルの大フロアーで、年に一度の展示会を催し、僕はその展示会に参加した。赤い絨毯の上には、都内で働く数百人におよぶ営業マンがいて、最新の車は優雅に展示されていた。まるで、売れていない僕の車の販売台数とは対照的な華やかさで……。

 車の営業では、できることはすべてやってきたつもりだ。僕は宅急便のドライバーよりも沢山のインターホンを押したし、おそらくコールセンターの人より多くのお客さんの苦情処理もやった。そして、ワンコールで電話の対応もしたし、休みの日にも出勤した。そして僕の場合は、それらに加えインスリンの注射もやってきたのだ。今まで必死でがんばって、いろいろな経験や知識も得たはずだった。

 けれど、車は売れなかった。こんなに一生懸命やっているのに車が売れない……と心が悶々とする日々が続いた。

 何かを見落としいるのではないだろうか。大切な何かを。

 突然、不安になった。車の営業を経験した上で「知った」と思っていることよりも、経験してはいても、「気づかずに見落としていること」の方が、僕の場合、遥かに多かったのかもしれない。

 都内で最高とも言われるホテルの展示会。その大きな広間に、どうやって車を運び入れるのか僕は知らなかったし、どうやったら、お客さんが僕を信頼してくれるのかも、よくわからなかった。血糖測定器だって、どういう仕組みで血糖値が測れるのかも知らなかったし、穿刺の際にアルコール綿を使わなくても大丈夫なのかどうかも知らなかった。インコにダニがいることさえも知らなかった。

 インコのダニは知らなくても、僕の人生上はなんの問題もなさそうだったけれど、幾多の経験を積み知識を得たつもりでいても、無意識に見逃していることの方が遥かに多いのではないかと考えると、少しめまいがした。

データか、センスか

 僕は、完全に憔悴しきっていた。垂直にそびえ立つ、豪華で、優美なホテルとは対照的に、まるで、「垂直に下を向いたアジアのセールスマン」というタイトルがついたロビーの銅像になった。

 理路整然をモットーとする、恐ろしく怖い課長と呼ばれる上司に、僕は勇気を振り絞って、自分では気づいていないことを、思い切って聞いてみた。

「どうやったら、車は売れるんですか。ほとんどすべてのことをまじめに取り組んできたつもりなんですけれど・・」
「車の売り方ね。」
そうです、すいません、と僕は言った。

「自分では一生懸命やってきたつもりだけど、車が売れなくて困ってます」と、すいませんを繰り返しながら、僕は聞いた。
「もし俺が遠藤なら、こうするな」と、突然、上司は核心に触れた。 「つまりさ、車を売ろう売ろうと思っているだけではダメなんだ」
「どういうことですか?」
「簡単に言えばだな、お客さんがどういう顔をして車を買うかを見ることが必要なんだよ」
「顔ですか……。意味がわかりません」
「要するにさ、遠藤が、1日何件のお客さんを訪問して、その中で何件の商談があって、その中で何件の受注があって、というのはあくまで、上司である僕に報告するためのデータ、いわば、理屈上の話しなわけさ」
そのデータが大切だと、あなたは常に僕に言ってきた……。

 「けれどさ、営業という仕事の本質は、一人のお客さんのことをどれだけセンスで感じ取れるかが、鍵になるんだよ」
 センスと顔? もっと、わからなくなってきた。
「つまり、そのセンスが遠藤はまだまだ足りないなあ、と僕は感じるよ」 「では、そのセンスを磨くためには、僕は何をすれば、いいんでしょうか」と小さな声で僕は聞いた。

「今日は大きな展示会だ。それも、我が社がかなりのお金をかけてやっている展示会。営業マンもお客さんも沢山いるわけだ。そう、他の営業マンがどうやって車を売っているのか、ジーッと見ているのが一番さ。そこで、いろいろなお客さんの顔を見るんだ。お客さんがどういう顔をしているのか、自分のセンスで感じとらないとダメってことだよ」

「課長は、僕がこの展示会で車を一台も売らずに、ただ、他の営業マンと顧客のやりとりを見て、顔を見てセンスを鍛えればいればいい、と僕に許可を与えてくれるのでしょうか」と僕はかなり控えめに聞いた。

「まあ、それでいいよ」

お客さんの顔

 上司との話が終わると、この忙しい展示会で、僕は息を、風船が最後までしぼむようにゆっくりと吐ききって、心を空っぽにした。そうすると、不思議なもので、いろいろな音や、いろいろな話し声、いろいろな顔が自分の目に飛び込んでくるようだった。自分から能動的に見ている感覚はなかった。

 僕の心は肉体から遊離したような感覚になったし、ありのままのものを、ありのままの姿で受け止められそうだった。そこは、いつものホテルの広間ではあったけれど、いつもの目で見ていた世界とは違うものだった。

 僕は、必死で自分の視線を、他の営業マンが商談しているお客さんへ向かわせて、お客さんの顔をうかがった。そして、その日一日、たくさんのお客さんの顔を見た。無駄な時間を過ごしている感覚には襲われたけれど、とにかく、遠くからじっーっと見た。

 お客さんは皆、楽しそうな顔をしていることだけしか、気づかなかった。

 この日も僕の血糖値は、200mg/dLを超えた。

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