DMオピニオン
2016年07月01日
第11回 トップセールスへの道 ―超速効型の登場と低血糖―
1型糖尿病を患ってから13年が過ぎた。僕は25歳になり、つき合っている彼女もいなかった。
入社1年目の表彰式で、自動車保険部門で表彰されても、決して満足感を得られないという体験をしてから、僕の目標は、トップセールスを達成することだけになった。あの日から、時間は凄まじい速度で回転するようになった。
「あなたは1型糖尿病です」と医師から宣告されたときの入院生活では、木の葉が舞い落ちるのがスローモーションで見えるくらい、時間はゆっくり流れていた。大好きだった彼女にフラれた直後は、時計の赤い秒針は、電池が切れかかってるかのように、進んでいるのか戻っているのかさえわからなかった。
トップセールスになる
社会人になってからの僕は、健康な人を本当に羨ましく思った。目標を掲げた25歳の僕は、健康な人と比べて、究極のところ時間がないように感じた。ただでさえフェアじゃない世の中で、1型糖尿病というアンフェアなハンデを背負わされた僕が、どのようにして目標を達成すればいいのか……。体力に溢れた人ですら達成することが厳しいトップセールスへの挑戦は、1型糖尿病の僕をさらに孤独にした。
まず僕は、B5版の黒い革の手帳に、消えない油性マジックで「トップセールスになる」という目標を書いた。そして、来る日も来る日も、最初にそのページを開き、トップセールスの文字を心に刻んだ。
目標達成までの、生活管理も重要だった。僕はまず、朝起きる時間を正確に決めた。低血糖なのか、高血糖なのか、わけのわからない寝汗が深夜に僕を襲ったとしても、KENWOODのオーディオからは、毎朝5時半にMr.Childrenの『Tomorrow Never Knows』が流れた。
僕は、ジョッキーが馬に鞭を振るうようにパンパンと自分の顔を叩いてから、髭を剃った。これは仕事なのだ。
僕は、血糖自己管理ノートの測定値のように、まばらに埋まっている自分の手帳に、圧倒的に、無理やりに、徹底的に、好き嫌いなど関係なく、予定を書き込みまくった。そしてその予定を消化した後、プラスチックのボールペンで線を引いた。午前中はほとんど飛び込み訪問をしていたし、午後は以前ショールームに来たお客様、いわゆる見込み客のお宅を訪問して、車に関するちょっとした資料も持参した。不在の場合は、手紙もポストへ投函して、後日連絡もした。
朝起きたかと思えば、すでに辺りは暗くなっていたし、寝たかと思えば、すぐに次の日の朝になる生活だった。僕は、ボタンを押してもなかなか来ないエレベータを恨むようになったし、ワンテンポ遅れて出る牛丼屋の食券にすごくイライラした。無駄に話しをしたがるヘアサロンの店員にも、僕は相づちを返さなくなった。
僕の知らないうちに、地球の自転はますます早くなっていき、公転するサイクルも短くなったようだった。
休みの日にも僕は出社をして、会社の電話にも自分の携帯電話にも、コールセンターの優秀なオペレーターのようにすぐに応答して、お客様のご要望を伺った。
How can I help you, sirs and madams?
時間がない……。
新型のインスリン製剤
月に1回行かねばならない糖尿病の診察日なども平気ですっぽかすことが多くなった。インスリンや測定チップの在庫が十分自宅にあれば、たいてい行かなかったし、不足していれば母親に頼んで薬だけ取りに行ってもらった。もちろん、Dr. からは怒られた。
そんな生活を続けて、数カ月経ったころだった。僕は久しぶりに、自分自身で白い巨塔へ糖尿病の診察に行った。
「遠藤さん、どうぞ〜」Dr. の声はいつもよりほんの少し高いトーンのように聞こえた。
診察室に入ると、なんとなくドクターの表情がいつもとは違った。
「よく来たね。どうですか、その後の調子は?」
仕事が忙しくて、申し訳ないです……と僕は答えた。
「血糖値は測れているかな」
いや、あまり……すいません……。
自動車営業をやるようになってから「すいません」が口癖となった。あまりにも顧客から怒られる仕事であったため、僕は診察室でも「すいません」を繰り返した。
血糖自己管理ノートはもう持参することはなく、Dr. とは話をした。そして、いつもの雰囲気とは違う感じでDr. は僕にこう言った。
「あのさ、インスリンが新しくなったんだよ」
はあ、と僕は答えた。
「今までのものよりも、より食事に合ったインスリンだから。それと、今度のインスリンは食事の直前に打っても大丈夫だから」
ドクターは、新型インスリンに変えることによる患者のメリットを述べた。もちろん、新型のインスリンならば、そのような効果もあるのだろう、と僕は思った。
低血糖の恐怖
僕が1型糖尿病を発症してから初めての新型インスリン製剤の登場だった。十数年にも及んだレギュラーインスリン(速効型)と呼ばれるインスリンの治療にさようならを言い、超速効型インスリンに切り替えるときだった。
もちろん、ドクターの言うことに何の疑いも感じはしなかった。けれど、診察を終え、会計で1時間ぐらい待たされている間に、僕はある恐怖に襲われた。それは低血糖の自覚症状だった。僕は、糖尿病になってからの13年間で、いろいろな低血糖症状に襲われた。冷や汗だとか、空腹感だとか、焦燥感だとか、目がチカチカしたり、重症な場合は、挙動がおかしくなったりもした。
そして、そのつど血糖測定器を取り出して血糖値を測った。ある時は60 mg/dLだったし、ある時は30 mg/dLで、あの恐怖の低血糖で倒れる一歩手前のこともあった。だから、ときには新宿の雑踏の中で人目もはばからずに、持っていたコーヒーシュガーの細い紙袋を切って口の中に流し込んだこともあるし、大学のシーンとした講義の中で、角砂糖を歯茎から血がでるくらいガリガリ噛んだこともあった。
そう、低血糖を防ぐための第一歩は、低血糖のあの症状を感知することが、何よりも大切なのだった。そして、超速効型インスリンが登場したことで、あの低血糖の自覚症状に変化が現れるように思えたから余計に恐怖を感じた。
普段、1日1回くらいしか測らなかった血糖測定を、超速効型のインスリンのおかげで3回も測るようになった。普段の3倍だ。1つ買えば3つついてくるような期間限定の通信販売の宣伝のように、僕は1カ月間だけ3回測った。あくまでHbA1cを良くするための血糖測定ではなくて、低血糖を防ぐための血糖測定だった。そして、低血糖の症状を自分で把握するための……。
まあ、とりあえずは問題なさそうだった。不良患者とはいえ、僕の血糖コントロールのスキルは、知らず知らずのうちに上達していたようだ。
ただ、24時間のうちの65%ぐらいは仕事をしていて、食事も不規則で、酒も飲み、通常1日1回の血糖測定では、たとえインスリン製剤が変わったところでHbA1cなど良くなるはずもなかった。
僕はHbA1cが上がっても、寿命を縮めても(寿命がいつ尽きるかなど誰にもわからないのだけれど)、命を賭けても、達成すべき仕事を実行するマシンになった。予定も目一杯詰めたし、心が折れないために、映画『ロッキー4』の『Training Montage』をリピートし車を走らせたし、上司の言うこともできるだけ理解しようとした。
しかし、予定をいっぱい詰め込んでも、診察に行く回数を減らしても、そしてインスリンが新しく変わっても、命を縮めるのにも頓着せず、ガムシャラに奔走しても……でも、車は売れなかった。
もくじ
- 第1回 あなた、一生、インスリン注射が必要です
- 第2回 人前で低血糖になるな
- 第3回 就活と見えざる何か
- 第4回 消えたインスリン
- 第5回 消えたインスリン その2
- 第6回 アルバイトの経験
- 第7回 大学での部活
- 第8回 社会人1年目、罹病10年目、マグネットへの羨望
- 第9回 1型糖尿病(23歳、男)の性
- 特別寄稿「被災した糖尿病患者さんへ」
- 第10回 表彰状の行方
- 第11回 トップセールスへの道 ―超速効型の登場と低血糖―
- 第12回 仕事に打ち込む夏 ―データか、センスか―
- 第13回 お酒と血糖値と現実と
- 第14回 恋人ができるまで
- 第15回 低血糖との戦い
- 第16回 徐々に襲いかかる合併症
- 第17回 インスリン注射の早わざ
- 第18回 糖尿病とカンセン
- 第19回 1型糖尿病は僕の性格をも形成する
- 第20回 一生続く不安と、どう向き合えばいいのか
- 第21回 5年後の自分とセールスという仕事
- 第22回 朝の血糖値と覚えてない低血糖
- 第23回 シックデイの苦しみ
- 第24回 1型糖尿病と自律神経と運動
- 第25回 超えられる壁 越えられない壁
- 第26回 1型糖尿病のポテンシャル
- 第27回 心のそこにあるモチベーション