DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2016年03月01日

第7回 大学での部活

第7回 大学での部活

 タック、モヤイ、ジャイブ、スナイプ、470、この言葉を覚えたのは大学の1年生の時だった。小さい頃に家族旅行で出かけた海は、いつも穏やかな海だった。高校時代に伊豆七島への旅行で乗った船では、大きな海を見つけた。そして、大学に入ると、今度はその海と闘ってみたくなった。

1型糖尿病でも何でも出来る

 1型糖尿病を発症してから、時々、このフレーズが、インナーヴォイスとして沸き起こる。それも突然に。たぶん発症後の4年目、高校1年生あたりから、この現象が始まったように思える。

 「1型糖尿病でも何でも出来る」に後押しされて、僕はリスクなど一切考えずに高校生の時に自動二輪の免許をとった。兄が住んでいたイギリスにも行った。そして大学に入ってからは、ヨット部に入部した。

 ヨットというと、何だか余裕しゃくしゃくで、セレブが乗るような聞こえの良い乗り物ではあるけれど、ヨット部のは、そういう類のヨットではなかった。

 小田急線から見える多摩川で、いつも客待ちをして停まっている小さなボート。大人2人がやっと乗れるくらいのサイズで、そのボートに幌とマストが取り付けられている程度の代物だった。もちろん、エンジンは付いていない。冷蔵庫もない。洋上でのバーベキューなどというイメージは、1型と2型糖尿病を混同している人の勘違いのようなものだった。

 人体を海老のように反り返し、腹筋は悲鳴をあげて、それでも必死にしがみ付いていなければ、海にドボンの人力ヨット。優雅なイメージとは正反対のディンギーと呼ばれる小型のヨットだった。いつも先輩と2人乗り。

 部の合宿所は横浜市金沢区にあった。観光客でにぎわう八景島シーパラダイスの中に、遠慮がちにひっそりと、でも結構な規模で立っている。合宿所には20以上にも及ぶ大学のヨット部員達が集まった。そのため、各大学ごとに宿泊できる部屋と炊事場があった。またヨットを保管しておくヤードも学校ごとにあった。

海へ出る前の1型糖尿病の準備

 僕は合宿がスタートする前に、12cmx10cmの赤いヘリーハンセンの防水ケースとグレゴリーのポシェットを買った。防水ケースには角砂糖をめいっぱい詰め込んで、ポシェットにはインスリンと血糖測定器をいれた。そして、一年生として合宿に参加した。

 ひとたび先輩と2人で海に出れば、ヨットを動かすための風を探すのが、一年生である僕の役目だった。水面を目が眩むまで見つめれば、海の表面が一部黒くなっているところや、皺みたいになっているところを発見できた。

 「そういうところに風はある」と先輩は教えてくれた。僕は必死で、海を見つめた。眼底検査の光ぐらい、眩しかった。

 そして、海面に黒か皺があったら先輩に伝えた。
「あちらに風はあると思います」

 風という獲物を追うために、マストや幌を動かし、先輩と僕は船を動かした。しかし、僕が指示した場所にときどき風がないことがあった。そうなるとヨットは、ただ海に浮いているだけの白い物体となった。まるでガス欠した車のように。風に乗った時の快感と躍動感と力強さは全て消え失せる。そして、かなり凹む。

 狭いヨットの中は、なんとも耐え難い雰囲気となった。なにしろポインターは僕なんだから、先輩も出来の悪い後輩に失望しているように見えた。ガス欠の車の中で、先輩が何も言わない状態はかなりキツかった。灼熱の太陽と海からの反射光もあって、もう、僕の目はどこを見ればいいかわからなくなった。

 1型糖尿病でも何でも出来るんじゃなかったのか……。あざ笑うようなインナーヴォイスが聞こえた。

 昼食は多摩川の渡しボートのようなヨットの上で食べる。しかし、ここは川じゃない。海が荒れればヨットは古い時計の振り子のように左右に大きく揺れる。

カレーライスと血糖測定

 インスリン注射をして、灰色がかった透明のタッパーにつめた昼飯を食う。その中身はおおかたカレーライスか卵かけご飯だった。1年生の僕らが作ったものだった。カレーライスならだいたい1,500kcalぐらい、卵メシならほとんど炭水化物だけの1,000kcalといった食事だった。

 揺れれば、いつもビシャビシャとヨットに海水は入ってくる。だから血糖測定などしなかった。そりゃあ無理をすれば、なんとか出来たかもしれなかったけれど、ヨットの上では面倒だし時間もなかった。

 海での活動も終わり、ヨットを降りて陸に上がれば、もうクタクタでヨレヨレだった。僕は海辺で干されているイカのようにヘロヘロになって、先輩を追ってスロープを歩くと、先輩はゲラゲラと笑った。なぜだか僕もゲラゲラ笑った。

 何かが楽しくて笑っているわけではなかった。ただ、笑いたかっただけだった。人生で初めて経験する笑い方だった。場所が場所なら、下品以上の変態以下。もし、これが一人だったら、明らかに職務質問されていただろう。

 最初の笑いは30秒以上続いた。しかし、時間がたってからも、今度は20秒、次は10秒、と1日に何度も笑いがこみ上げ、そしてフェードアウトしていった。困ったことに一人でいるときにも、この笑いは起こった。そんな時は、集合トイレに駆け込んでゲラゲラ笑った。体力の限界を超えれば人は笑う、と便所で干上がったイカは感じた。

部活とHbA1cの狭間で…

 苦しくも笑いの絶えないヨット部の生活ではあった。けれど一方で僕のHbA1c(糖尿病検査で使うグリコヘモグロビン値)はグンと上がった。そりゃあ、合宿に入ればハードで、しかも3食ドカ食いという毎日だったから、因果応報だったのかもしれなかった。それを承知の上で僕は考えた。

 HbA1cが上がっても、僕はヨット部の活動をしたいか? or not?

 HbA1cを下げつつ、ヨット部の活動がしたい、というのが本音だったが、僕の不器用な性格では、結局二者択一しかなかった。だんだんと、ヨット部での生活を続けるのが、すごく困難に思えてきた。そして悩んだ挙句にキャプテンへ相談した。

 「君の病気にとって、うちの部はハード過ぎるかもな」

 とキャプテンは冷静に言った。認めたくない事実だったけれど、キャプテンの回答は正解だった。そりゃあ、1型糖尿病だったらスペースシャトルのパイロットにはなれない。そんなことはわかっていたけれど、体育会の部活を続けるのさえも難しいのだろうか。

 僕はヨット部を辞めた。

 「1型糖尿病でも出来ないことが一つあった」

 僕は、そう考えるようにした。負けてなるものか……1型でも出来ることはまだまだ沢山あるのだ……と凹む自分を、強引に奮い立たせた。

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