私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み
43.糖尿病の増減
また、わが国で糖尿病患者が増加してきた頃に国民の脂肪摂取量が増加したことも目立ったことだったので、この2つを関連づけた。ドイツのSchliach, V(1954年)も戦後糖尿病患者が増加したときは脂肪摂取量も増加したと報告していた。
その結果は図3のように相関関係は認められなかった。このことから、Himsworthがみていたのは脂肪摂取量の多い国は豊かで糖尿病罹病年齢まで生存するのに対し、経済的に遅れている国では脂肪摂取量が少なく、安価な炭水化物をエネルギー源として、しかも糖尿病罹病年齢まで生存する者は少なく、若年期に死亡する者が多いことをみているにすぎない、と理解された。このことから脂肪摂取が糖尿病の発症と関係するという説は否定された。動物に大量の脂肪を与える実験も行われたが、これによって糖尿病が現れたという報告もなかった。



次に運動量の数値化を探したが、小児の体力についての統計はあっても、国民の体力や運動については数値は見当たらなかった。そこで仕事の機械化、自動車の利用をみると、自動車の登録台数を知るのが手っ取り早いと思いつき、陸運局に入ったニ高の同級生がいたのを思い出し、仙台の陸運局から資料をいただいた。
このようにして運動量の減少を間接的に示す指標を得ることができ図4を作った。この図は当時の糖尿病の問題点をわかりやすく示していると思われたので、青森県糖尿病新聞「いずみ」に連載していたQ&Aを主婦の友社から「糖尿病の本」(図5)として出版したときにこの図を入れた。

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図8
![]() Tohoku Journal of Experimental Medicine、Vol. 141、1983 |
国際シンポジウムは1982年8月20日、21日の2日間仙台で開催、そのときの参加者の集合写真が図7である。前列左端が男性型肥満と糖尿病との関係を指摘したVague教授、その次がPima Indian研究のBennett博士、次が米国公衆衛生のHarris博士、馬場、Zimmet、後藤の次はFajans教授、インドのAhuja教授、インドネシアのWaspadji博士、第2列の左端は北京の池教授である。同時の糖尿病の研究者を知る良い記念写真となった。図8は記録である。

このシンポジウムで筆者は図5と図9を発表した。その図は現在は図6と図10に発展している。
(2006年07月04日更新)
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