私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

05.問題は解けた

1. 糖二重負荷試験は曲線が重なっただけとわかる
 プラトンはアテネの郊外で英雄アカデモスを祀った神殿のある所に学校を造り、そこはアカデメア(アカデミー)と呼ばれた。現在アカデミーは学園の一般名となっている。そのアカデメアの入口には、「幾何を知らざる者入るべからず」と掲げてあったといわれる。中学のときには、幾何の問題は解いても解いてもつぎつぎに問題が出てきたのを覚えている。
 学位論文の研究では、ぶどう糖の二重負荷試験をあれこれやってはみたが、なかなかよい成果が出ないのでぶどう糖50gの単一負荷試験も4時間やってみた。そしてある時2つの検査成績をもとに作図してみた。単一負荷の血糖曲線について、前値(空腹時血糖値)からの血糖の増加量を2時間以後の曲線の上に図1のように重ねてみたわけである。

図1 ぶどう糖負荷血糖曲線に増加量を積み重ねた仮想図(破線)
Metabolism 4,323-332,1955より

 軽い糖尿病では1時間か1時聞半で頂値となり、それから低下しはじめてやがて前値より低くなり、そして再び上昇して前値近くに落ち着く。血糖の増加量を重ねると2回目の頂値は前値より低くなった血糖曲線の谷の中に入るので、1回目より低くなる。
 中等症以上の糖尿病ではぶどう糖服用後の血糖上昇が長く続き前値にもどるのは3時間半以後になる。したがって前値より高い曲線の上に増加量を積み上げるので2回目の頂値は1回目よりも高くなる。これらを実際に行った二重負荷試験と較べたら、図2のようにすべてピタリ一致した。

図2 ぶどう糖二重負荷試験
左は非糖尿病、右は糖尿病例。Aは50g単一負荷曲線で破線は増加量を重ねた仮定曲線、Bは実際の二重負荷曲線、矢印はぶどう糖50g経口負荷。
Metabolism 4.323-332,1955より

 つまり、二重負荷試験は2つの曲線の和なのであった。それは幾何の問題で補助線を1本引くと解決できるような簡単なことであった。こんなことにどうして25年もの間誰も気がつかなかったのだろうと思い、米国の医学雑誌に発表した。
 それでつぎはぶどう糖10g静脈内注入試験を行ってみた。ぶどう糖を静注して10分おきに耳朶から採血した。同様に図3のように作図してみると図4のように経口負荷よりも更によく一致した。

図3 静脈内ぶどう糖負荷血糖曲線に増加量を積み重ねた仮定図(破線)
Tohoku J.exp.Med.64,199-208,1956より

図4 静脈内ぶどう糖二重負荷試験

左は非糖尿病、右は糖尿病例。Aは10g単一負荷曲線で破線は増加量を重ねた仮定曲線、Bは実際の二重負荷曲線、矢印はぶどう糖10g静脈内負荷。

 注入されたぶどう糖は一次元拡散式
 

に合致する減衰を示すことが知られていたので、2重負荷試験ではこの2つの式の和として

となり、図5の1回目の曲線AよりCのように2回目の曲線を推測できることがわかり、それらがすべて実測値Bと一致することを証明できた。
 二重負荷試験が2つ重ねただけのものならば、1回負荷だけでよいわけであり、2回やる必要はないとわかった。

図5 静脈内ぶどう糖二重負荷試験
糖尿病例。Aは単一負荷試験、破線は仮定曲線、Bは実際の二重負荷試験、CはBの1回目の実測値を一次元拡散式に当てはめて曲線を描き、さらに上記の数式により2回目の曲線を描いたもの。
Tohoku J.exp.Med.64,199-208,1956より
2. 血糖はすべて作図通りに上がらないことから血糖上昇限界値を提唱
 血糖が血糖曲線の作図通りになるものであれば、血糖がもっとも高くなるように作図して、実際に負荷した場合に作図通りに上昇するものだろうか。
 ぶどう糖を30分後や60分後に飲ませる作図では60分後や90分後に最高値になる。実際にその間隔でぶどう糖液を2回飲んでもらうと、図6のように中等症以上の糖尿病では作図通りに上昇するが軽症の糖尿病や健常では或程度以上までしか上昇しない。

図6 血糖が最高になる作図と実際との比較
A、Cグルコース50g負荷血糖曲線、破線の矢印で再び50gを負荷したと仮定すると作図上は破線の曲線となる。実際の二重負荷曲線はB、Dのようになり、Dは作図通りに上昇するがBでは頂値がAと同じになりこの値が血糖上昇限界値となる。Dの上昇限界値はこの頂値かそれ以上となる。

 すなわち、ぶどう糖を経口的に負荷したときには、それ以上は上昇しない天井があることがわかった。これを血糖上昇限界値 limiting level of hyperglycemia と呼ぶことにした。空腹時血糖値との関係は図7のようになった。この天井をきめている要素の解明は血糖調節の点から面白い問題と思われる。

図7 空腹時血糖値と血糖上昇限界値との関係
Tohoku J.exp.Med 66,125-130,1957より

 同じ内科に入局した同級生はいつの間にかみな世帯を持っていた。当時は独り者がいると世話好きがうるさく話を持ちかける時代で、学位論文が仕上がったところで見合い結婚し、大学病院の裏に住んだ。

(2003年05月01日更新)

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