私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み
03.輸入が途絶えて魚インスリンが製品化
図1 榮養失調症患者數の月別外來患者數に對する百分率
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飯塚直彦:日本人の栄養及び栄養失調症, 日本医書出版, 1947年 より
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わが国は海に囲まれているので魚は多く取れる。では魚からインスリンをとれないか。多くの人が考えたに違いない。1926年農林省に水産試験場ができ、その研究事業の1つが廃棄水産物利用試験で、魚からインスリン抽出が取り上げられた。魚博士の末広恭雄、化学の右田正男氏らが研究し、タラ、スケトウダラが着目され、1942年にはタラ1尾より約20単位抽出できることがわかった(図2)。1936年のマグロ、カツオ、タラ、ブリの漁獲高の統計をもとに、その全部からインスリンを抽出すると仮定すると48,389万単位になる。当時の日本のインスリン消費量を1日2万単位としても年間730万単位で66年間の需要を満たすことになると推定され
図2 魚のインスリンのある膵島(ランゲルハンス島)の図
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![]() カツオ、タラは末広恭雄:魚類学, 1966年, 85頁, 岩波書店 より、 メクラウナギはChester-Jonesら編:比較脊椎動物内分泌学, 587頁, Plenum Pressより |
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図5 市販されたイスジリン
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終戦後工場は復興された。マグロ、カツオよりも鯨のほうが効率がよさそうなので大洋漁業では1947年から鯨膵からのインスリン抽出を計画し、清水製薬と技術交流して5年後から鯨インスリンも製造され、1968年まで続い
1954年清水製薬は「重要医薬品インシュリンの抽出の研究と実用化、生産向上」の功績で第6回保健文化賞に輝い
戦後に復興された工場ではインスリンの製造も途絶えがちであったが、1948年にインスリンは統制解除、自由販売となった。やがて海外からインスリン末の輸入がはじまり、それらによるインスリンが市販された。1950年頃のインスリン製剤では注射後に発赤とか、掻痒などの局所反応が時々みられ
福屋氏は気仙沼の出張の折に時々、東北大学医学部にも立ち寄られたので、昔話を聞くことが出来た。
(2003年03月03日更新)
※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。
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