糖尿病アジアネットワーク

2007年08月07日

飲食習慣が劇的に変化した20年 糖尿病も増加

1. 貧困から

 ベトナムの1975年の国民解放後(ベトナム戦争終了後)から、ドイモイ(刷新)政策が実施される1986年までの時期は、とても貧しい時代でした。人々の生活は厳しい状態にあり、海外からの援助を常に必要としていました。

 ベトナム人の主食は米です。当時の稲作の生産性は非常に低く、1986年の平均収穫量は2.18t/haしかありませんでした。人々は米の代用食として、その質を問わずコーン、ジャガイモ、キャッサバなどを食べていました。

 その当時は、国家による徴収と配給による統制経済が実施されており、個人の経済活動は一切認められていませんでした。食糧を含めた物資の供給は需要との関係にうまく呼応できず、必要なものも不足しました。

 このように、ドイモイ政策が始まった1986年頃、ベトナム社会がどのような栄養状態であったかをイメージしていただけるでしょう。当時のベトナムの人々は糖尿病といわれる疾患のいかなる認識も持っていませんでした。

2. 発展・余剰へ

 1986年12月、個人に対して経済的自由をもたせるように作られたドイモイ(刷新)政策のもと、新しい経済変化が始まりました。そして、多くの長期計画が成功し、経済的にも、社会的にも素晴らしい成果をもたらしました。

 徐々にベトナムは貧困から解放され始めています。2004年には世界第2位の米の輸出国になりました。コーヒーもブラジルに続く第2位です。

3. そして、変化へ


豊富な食材が売られる市場
一般家庭の食卓に上がる料理に使われる


果物の種類も多い

 過去20年のベトナムの経済・社会の急激な発展は、良し悪しは別として多方面でさまざまな影響をもたらしました。ベトナム人の飲食習慣も、以下のように大きく変化しました。

  • 欠乏から余剰へ
  • 純粋な自然食から、いろいろなスパイスを使う見栄えのいい凝った料理へ
  • 清浄で安全な食品から、化学薬品(食品添加物、くだものや肉類などの保存料、肉類に蓄積する抗生物質など)を使った食品へ
  • 揚げる、炒める、煮込む、グリルが増え、油や脂肪の摂取量増加

 さらに、人々は朝食、ランチ、夕食により多くのファーストフードを食べるようになりました。たとえば、ケンタッキーフライドチキンはこの数年の間にハノイやホーチミン市、ハイフォンや他の大都市に店舗を開き、とても強く人々を魅了しています。

 しかし、このごろ大人にも子どもにも飲食習慣の悪化が見られます。ほとんどの人は1日の適切な栄養エネルギー(カロリー)などに関心がありません。そして、食事メニューはエネルギー計算されることなく、好きな食品(や料理)を量も品数も食べたいだけ食べます。

 ハノイでの調査では、成人1日のエネルギー摂取量が2,322kcal、たんぱく質が71.0g/日、脂質が40.2g/日、炭水化物が387.1g/日でした(Ta Van Binh et al、2002年)。

4. 変貌する都市部(ハノイ)の飲食文化

 現在ベトナムでは、西欧の飲食文化がますます深く広く浸透しています。多くの西欧料理レストランが都市の通りに面した場所に開店し、イタリアン、フレンチ、スペイン料理などがベトナム人を強く魅了し食欲をそそっています。特に、この傾向は若者と高額所得者に顕著です。彼らは瞬く間にハンバーガー、ホットドッグ、ピザ、パスタ、スパゲティ、チップス類、チーズ、バター、スナック類、クリームケーキ、ジャム、ローストミート、ビーフステーキなどを好むようになりました。


イタリアンレストラン(ハノイ)


イタリア風ステーキ(ハノイ)


ハノイの歩道で見られるビールの酒盛り

 それ自体は悪いことではありません。西欧料理もとても美味しいですが、急激なカロリーの摂取の増加などにも、もっと注意を払って食べなければ健康上の問題が現れるでしょう。しかし、彼らのほとんどは、そのことを真剣に受け止めてはいません。

 グルメ通や高額所得者向けの豪華で高価なレストランの他に、肉体労働者、労働者、商人や学生達が集い歓談を楽しめるところもあります。大衆食堂、路上・露天の大衆飲み屋、小さな居酒屋などは、一般市民が仕事の後に集う場所であり、道路沿いや歩道の片隅など至る所にあります。人々は自由な気持ちを存分に味わい、握手と乾杯で新しい交友関係をスタートします。数人で「1、2、3、ヨー!」と叫びながら一気にジョッキを飲み干し、痛飲します。酒盛りが続く間、ビールは次々と運ばれ、酒飲み達は食べ物を少し食べて、とにかくよく飲みます(2〜3Lかそれ以上!)。

5. 地方の生活と飲食習慣

 次に地方の様子をお伝えします。

 地方の農業従事者は、年に2回の農繁期には、忙しくしっかり働きます。しかし多くの場合、残りの期間は、ほとんど仕事がありません。2003年の政府の報告によると、都市部の公務員やサラリーマンに比べると、地方の人々の労働時間の割合は76.8%とされます(2000年には73.4%でした)。幸いにも輸出市場の拡大によってこの数値は高くなりつつあります。

 彼らは仕事のない暇な時間をどうやって過ごすのでしょうか?

 皆さんが田舎に行けば、暇な人たちが集う地元のパーティに参加できるチャンスがあると思います。彼らは誰かの家か居酒屋に集まり、ピーナッツや家庭でとれた食べ物などをつまみ、ベトナムのアルコール飲料(45度)を飲んで1日中一緒に過ごします。これはベトナムの田舎でごく普通の習慣とされてきました。

 しかし、近年田舎の人々の生活スタイルも都市での変化を上回る速さで変化するようになりました。地方の経済開発がその地域の生活水準の向上を促し、特に土地の価格がすごい勢いで高騰している都市近郊の農村地帯では、生活はますますエキサイティングになっています。

 農業の生産性の向上が、自分たちの生活と都市や輸出へ回すために十分な量の食糧を生産可能にしました。反面、アパート区画や工場団地の出現によって、農業区域が徐々に縮小しつつあります(都市近郊および工業地帯周辺など)。

 地方の若い人達の多くは、工場で労働者として働いていますが、中高年の人々は仕事をもっていない人も多く存在します。しかし、彼らの中には自分の土地を売ることで富を得た人たちもいます。多くの人が一夜にして億万長者になりました。このような富裕層の生活スタイルの変化のなかでも飲食習慣の変化は特に顕著です。

 ベトナムではヘルスケアシステムの構築と人々の健康改善知識の普及にくらべ、経済の発展スピードがはるかに速いのです。

6. ベトナム都市部の糖尿病

 前回報告したように糖尿病に関する調査研究は、2型糖尿病が悪い飲食習慣の直接的な結果であることを強く示唆しています。

 たとえば、2002年にハノイ市にある国立内分泌内科学病院(Hospital of Endocrinology, Hanoi)と日本の近畿大学医学部が共同で行ったハノイ市についての総合調査は、脂肪を多量に摂取する人の55.1%が糖尿病で対照群では22.9%、過剰飲酒者の31.0%が糖尿病で対照群では11.8%など、食物摂取と食事行動がハノイの糖尿病有病率に影響をあたえていると報告しています。

 過去20年間の悪い側面として飲食習慣の急激な変化とベトナムでの糖尿病増加には明らかな相関性が見られます。ベトナムではまだ他の都市での調査研究を行っていませんが、恐らく同様の実態を見いだすでしょう。

7. ベトナムの地方の糖尿病


農場での収穫作業


急激に変化する都市近郊

 糖尿病有病率の増加について都市と地方にはあきらかな差がみられますが、これにはいくつかの理由が考えられます。

 地方には都市や町ほど多くの糖尿病発症の原因となる要素がありません。富裕層が少ないこと、そして、地方であること自体が、新鮮な空気と安全な自給自足の作物を食べる生活という長所をもっています。また、地方では、多くの人々が肉体労働に代表される、きつい仕事をします。彼らの仕事は、造園、農耕、漁労、煉瓦づくりなど、明らかに体を動かす仕事が多いことです。以上のことが地方の人々の糖尿病発症率を下げている原因でしょう。

 しかし、糖尿病有病率が低いとはいえません。

 国立内分泌内科学病院部長のTa Van Binh博士に「地方の人の多くはしっかり働き、貧しい家庭も多いのに、糖尿病が少なくないのはどうしてか?」と質問したところ、「地方の人々の生活水準が非常に短い期間に非常に速く豊かに変化したためだろう」ということでした。確かにベトナムの農民は、ほんの数年のうちに飢えから適正な状態へ、そして、食糧の余剰さえも体験しています。

 また、国立内分泌内科学病院副院長のHoang kim Uoc博士は、糖尿病の増加を広く知られている倹約遺伝子の理論に基づいて説明し、ベトナムでも同様のことが起きていて、とくに田舎の人々は長い間食糧が欠乏する生活だったのでかれらの体が倹約的な生活スタイルに馴染んでしまい、その体は短期間に新しい生活スタイルに追随することはできない状態にあると述べています。

 次回は糖尿病専門医のインタビューをレポートします。

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