DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2018年08月03日

第25回 超えられる壁 越えられない壁

第25回 超えられる壁 超えられない壁

 自律神経からなのか。

 朝起きられない症状は、その後も僕を苦しめた。

 食事も食べてもいないのに、僕の血糖値は低血糖どころか、高血糖が持続的に続くようになった。測れども測れども200mg/dLオーバー。僕は血糖測定すら嫌になっていたし、自己管理ノートに血糖値を記入することなんてありえなかった……。

 ただ、1週間ぐらい経ってからだろうか。徐々に朝は起きられるようになり、腹も減るようになった。そして、三食食べる生活に戻し、仕事もできるようになった。

彼女からの別れ

 また、忙しい仕事の生活に戻るやいなや、今度は、1型糖尿病を理解してくれていた彼女から、突然の別れを告げられた。まるで、マジシャンの手にいた鳩が突如として消えるように、彼女は理由も告げずに僕の前から消えていった。

 低血糖のときには、自分のかばんの中に持っていたブドウ糖やコーラを渡してくれた彼女、ときには1型糖尿病のことを知りたくて一緒に病院に同行しドクターの診察に立ち会ってくれた彼女、外食の際は、僕を羨ましがらせないようにと、同じくらいのカロリーのものを食べてくれていた彼女だった。

 僕が中学1年生で1型糖尿病になったときに、母親からは「あなたを結婚できない体にしてしまった」ということを言われたのは、30歳を前にした今でも覚えていた。

 しかし、母親のそんな言葉も、ようやく、この彼女が壊してくれるのだ!と僕は密かに期待していたのだ。

 しかし、彼女に突然フラれ、様々な思い出が、潮の満ち引きのように何度も何度も繰り返し僕の脳裏に蘇った。ある意味、1型糖尿病の診断を下されたときよりも、ショックな宣告だった。

 何のために血糖値を測り、何のために面倒なインスリン注射をして、食事をし、仕事をしているのだろう……。

 仕事もインスリン注射も全てが面倒になった。答えが出ない質問を延々と繰り返して、僕は数日、いや数週間、いや数カ月を生きた。

 頭では「前に進むしかない」ということをわかってはいたが、そんなに早く切り替えられるスイッチなど僕のハートは持ち合わせていなかった。それは、入社6年目のときであり、そろそろ30歳を迎えるころだった。

 しかし、僕がそんな状態であろうと、周りにいるセールスマンは僕に追いつこうと車の売り上げをどんどん積み上げてきた。この時点で、僕の販売台数はトップだったのだ。

病気という負い目

 1型糖尿病という病気を持っている負い目からだったのだろうか。

 僕のことを理解し、支えになってくれ、その上、仕事も好きなようにやらせてくれた彼女を、引き留めることができなかった僕だったけれども、車の販売だけは、健常人の誰にも負けるわけにはいかなかった。僕は、直線で鞭を振るわれた競走馬のように、最後の力を振り絞って、全速力で残りの3カ月を走りきって、なんとしても1位を死守しなければならなかった。正直、泣きながらの3カ月だったけれども……。

 それは、つまり、社会人になってから読んだ本に、こう書いてあったからだった。

 「1位と2位には、想像以上のひらきがある」

 「できることと、知っていることでは、相当なひらきがある」

糖尿病治療の根底

 1型糖尿病だって、そうだ。

 インスリンを注射する、ことだって想像するより実際にやり続けることの方がはるかに苦労が多い。血糖測定だって、本で読むよりも、本当に本当に大変なことなんだ。

 満員電車の中で低血糖っぽい症状が起こったら、あなたなら、どうする?

 混んだ電車の中で、人目もかまわず血糖測定ができるのか?

 できない。

 なら電車から降りるのか?
 たとえ降りても、通勤時のラッシュアワーだから、ホームも人混みでいっぱいなんだ。そんな中、血糖値を測り、ブドウ糖を飲んで、ひたすら血糖値が元どおりになるまで、あなたは待てるのか。

 僕は1型糖尿病になってから、15年、こういう面倒くさいことをやり続けてきたんだ。なぜだ? きっと、何かで1位を取るために頑張ってきたんじゃないか。親や、友達には感謝しているけど、誰も本当のところは理解できない1型糖尿病の孤独な世界で、僕は一人で戦ってきたのではないか。

 そうなんだ、ここまできたらやるしかないんだ。
 そして、結果が決まるデッドラインまで、あと半年と迫っていた。

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