DMオピニオン
2016年11月28日
第13回 お酒と血糖値と現実と
20代半ばになったころ、お酒を飲む機会がとても多くなった。歓迎会や送別会などの会社の行事で、上司や同僚と飲むお酒だったり、たまにお客さんから誘われて飲むこともあった。1型糖尿病とは言え、避けて通れないのが酒の席だった。
もちろん、お酒は、仕事を円滑に進めるためのコミュニケーションツールでもある。1型糖尿病を理由にお酒を控えるのは、病気のせいで、窮屈な生活を強いられている、あわれな自分を見るようで嫌だった。だから、少し意地もあって、お酒の席に誘われれば、ほとんど断らなかった。 お客さんと酒を飲みに行ける関係になることは、車を売る意味でも、お客さんの貴重な経験を聞く意味でも、有意義なことだった。
ただ、お酒を飲む上で、気をつけなければいけない点は、経験上、いくつか知っていた。
つまみに始まり、酒を飲み、また、つまみを食べては、酒を飲む。
牛丼だとか、ラーメンだとか、チャーハンだとか、ハンバーガーとか、社会人になってジャンキーな食生活ではあるけれど、とにかく主食のある食事が、僕の1型糖尿病食の基本形だった。運ばれてきた食事を見て、カロリーを考え、食べる前にインスリンを打って、できるだけ早く食事を済ませるのが僕のスタイルだった。
インスリンを打つタイミングは?
ところが、お酒の席は主食を欠くケースが多い。(最初のビール注文時に、よもや焼きおにぎりを頼めるはずもなく、2杯目の注文時に、明太茶漬けを頼みたいとも思わなかった。)おまけに、おつまみときたら。あまりに多種多様で、しかも少しずつゆっくりと食べるものだから、いったいインスリンをいつ打ったらいいのか、僕はよく悩まされた。
控えめで、低カロリーの枝豆や冷奴などのおつまみを注文するならば、もちろんインスリンの必要はないけれど、ただ、血気も盛んな、若いサラリーマンが飲み屋に行って、枝豆だの、冷奴だの、お新香だの、おきゅうとだの、カロリーの低いものばかりを注文していたら、周囲から浮いて
「なぜ低カロリーのものばかり注文するのか」という質問が飛んできそうだった。
まあ、お酒もまわり、気持ちよくなってきたころには、たいてい、高カロリーの居酒屋定番のおつまみ、すなわち、からあげとか、ポテトフライとか、天ぷらなどが登場する。高カロリーな食べ物が高血糖を招く、という暗黙の了解の中で、僕は別の感覚を肌で感じていた。
それは、高カロリーの食べ物の全てが血糖値を上げる、ではなかった。
だから、お酒の席で、高カロリーだけど主食の少ないものを食べるときに、僕は、迷わずに、けれども、かなり適当に、インスリンを少量だけ打った。
楽しい飲み会で、それがやや緊張するお客さんとの酒の席でなくても、血糖値を測ることはとても面倒だった。お酒がまわれば、そもそも血糖値などに振り回されて、カロリーに気遣っている自分も嫌になる。気も大きくなって食後の血糖値を測ることはあまりなかったし、最後は、健康体の同僚と同様に、食べて飲んでを繰り返し、かなりカロリーオーバなつまみとお酒のサイクルとなっていた。
つまり、酒の席が何日か続けば、1型糖尿病の僕の血糖値は、巡航体制に入ったジャンボジェット機のように、高い高度を維持しそうだったし、僕の体重もみるみる増えそうに思えた。
翌日の血糖値が不思議なことに……
けれど、僕は長年の経験から、お酒がときどき血糖値を下げることを、なんとなくだけれど、確信に近いものを感じていた。ビール2本も飲めば、かなり酔って、くだを巻くようになるほどアルコールに弱い僕だけど、学生時代には先輩から、会社に入ってからは上司から大量にお酒を飲まされた日もあった。
90度以上とも言われる、喉が焼けるほどの、スピリッツをショットグラスで3杯程飲んで、公園のベンチで一夜を過ごしたこともあったし、日本酒を一升近く飲まされた次の日に朝6時に出勤することもあった。そして、飲みすぎた翌日には、二日酔いに襲われるのと同時に、なぜだか長時間、僕の血糖値は低空飛行した。「二日酔い低血糖」みたいな現象が起きた。
血糖値を測れば、食前はだいたい99mg/dL未満の「優」の成績であり、食後も140mg/dL以上になることがなく、規則正しい範囲(正常値)の中で僕の血糖値は推移した。とても不思議な現象で、普段、高血糖と低血糖を繰り返していた僕は、
「もしかして、血糖測定器が誤作動しているのではないか」
という疑念すら頭に浮かんだ。そして、誤作動を確かめるように、たくさん血液を出して、何度か血糖値を測ってみた。けれど、機械は壊れていなかった。
なぜかお酒をたくさん飲んだ翌日には、健康体の人と同じような血糖値になることが多かった。ありがたいことに……。けれども、僕は恐怖にも襲われる。それは、健康体の人には起こらず、1型糖尿病の僕には起こる低血糖の存在だった。
いつ、突然、低血糖の領域に入ってしまうのだろうか。
何の前ぶれもなく、突然、僕の血糖値は急降下して、あっという間に、70mg/dLの境界線を割って、低血糖の領域に入るのかもしれないし、もしかしたら飛行機の着陸のように徐々に徐々に降下して、冷や汗が額からタラーッと垂れてきて低血糖の領域に入るのかもしれない。
70mg/dLという数値をいとも簡単に割ってしまう1型糖尿病の血糖値に、いつも僕は恐れをなしていた……。
ただ、激しくお酒を飲んで、頭はガンガンして二日酔いになりながらも、低血糖昏睡を起こしたことはなかった。それは、二日酔いの日には、僕はいつもより多くの血糖値を測っていたし、自動販売機でエナジードリンクやジュースをよく買って飲んでいたからかもしれない。
酒+高カロリーのつまみの翌日に、糖分の多いドリンクを飲むという行為を犯しても、血糖値はほとんど上がることがなく、僕は狐につままれたような気持ちになった。
なんのことはない、これは「アルコール性低血糖」の症状だったのだろうが、当時の僕はアルコール性低血糖という言葉を知らなかった。問診の際に、お酒を暴飲したこと、翌日の血糖値がなぜか急降下していたことを話していれば、あるいは教えてもらっていたかもしれない。しかし、これは言えなかった。当時の僕は、そんな患者だった。
編集部注:「アルコール性低血糖」について詳しくは以下をご覧ください。
アルコール性低血糖(糖尿病用語辞典)
アルコールと低血糖の関係を教えてください(糖尿病Q&A1000)
アルコール性低血糖について教えてください(糖尿病Q&A1000)
もくじ
- 第1回 あなた、一生、インスリン注射が必要です
- 第2回 人前で低血糖になるな
- 第3回 就活と見えざる何か
- 第4回 消えたインスリン
- 第5回 消えたインスリン その2
- 第6回 アルバイトの経験
- 第7回 大学での部活
- 第8回 社会人1年目、罹病10年目、マグネットへの羨望
- 第9回 1型糖尿病(23歳、男)の性
- 特別寄稿「被災した糖尿病患者さんへ」
- 第10回 表彰状の行方
- 第11回 トップセールスへの道 ―超速効型の登場と低血糖―
- 第12回 仕事に打ち込む夏 ―データか、センスか―
- 第13回 お酒と血糖値と現実と
- 第14回 恋人ができるまで
- 第15回 低血糖との戦い
- 第16回 徐々に襲いかかる合併症
- 第17回 インスリン注射の早わざ
- 第18回 糖尿病とカンセン
- 第19回 1型糖尿病は僕の性格をも形成する
- 第20回 一生続く不安と、どう向き合えばいいのか
- 第21回 5年後の自分とセールスという仕事
- 第22回 朝の血糖値と覚えてない低血糖
- 第23回 シックデイの苦しみ
- 第24回 1型糖尿病と自律神経と運動
- 第25回 超えられる壁 越えられない壁
- 第26回 1型糖尿病のポテンシャル
- 第27回 心のそこにあるモチベーション