DMオピニオン
2015年09月01日
第1回 あなた、一生、インスリン注射が必要です
発 症
中学1年生の春だった。入学当初だったので、新しい学生生活への期待でふくらんでいた。校内は桜が咲き誇れ 、緑にも囲まれ、木漏れ日が眩しいほど新鮮な気持ちだった。
そんな気持ちとは裏腹に、僕の体は急激に変わっていった。喉がカラカラに渇くようになり、水を絶えず飲まずにいられなかった。おしっこも頻繁に出るようになった。
電車での通学だったから、喉の渇きやおしっこを我慢できず、途中下車する日もあった。特に満員電車の場合が最悪だった。人ごみを押しのけて降りるのが面倒だったので、おしっこを我慢し、ダッシュで駅のトイレに向かった。間に合ったあ〜、尿が漏れないかという緊張と安堵感。中学生にもなって漏らしたら恥ずかしい……そんな心配を抱えて、通学電車に乗るようになっていた。
こんな状態だったから、睡眠中も何度もトイレに起きては、また水を飲んだ。睡眠不足も重なって、体はだるくなり、学校に行くのも嫌になった。「僕は学校でいじめられているのではないか」などと変な妄想まで出てくるようになった。
この頃、既に僕の1型糖尿病が徐々に進行していたのかもしれない。しかし、中学生の僕に、「病気ではないか」という意識があるわけもない。ましてや糖尿病のことなど、知る由もなかった。病気といえば、風邪くらいしか、視野になかったのである。
けれど、突然、学校の健康診断で異常が見つかった。尿糖が+++。すぐに近くの大学病院に行くように言われた。受診した病院で、「即刻、入院です」と言う。ドクターの顔色からも、重症な病気であることが伺えた。
診断まで
入院してからは、検査、検査の連続だった。
特に病院食が辛かった。揚げ物が大好きだった僕の食生活は、蒸し物か茹で物、それとご飯。隣りの人が食べている唐揚げに視線が釘付けになった。僕のは蒸し鶏。それもささみで味付けはなかった。まるで、まずい餌を与えられているニワトリのようだった。フライをほおばっている自分が夢にまで出てきた。
こっそり病院を抜け出したい気分だった。本当に辛かった。いったい自分が、どんな悪いことをしたというんだ。ベッドのなかで、布団を頭までかぶり、神を呪った。
30年前の当時は、検査から診断まで時間がかかった。何の病気か分かるまでの、不安と憂鬱な日々。この時期は本当に沈んだ。
音のない白黒の8mmビデオの中にいるようだった。検温などで看護師やドクターが声をかけに来ても、そこには声がない。だから動作を察して、相手が何をしたいのか感じ取る日々だった。
配膳された食事の色もなくなっていた。そのためか、だんだん食欲もなくなり、蒸し物や茹で物のおかずさえ、喉を通らなくなった。ついに、まったく食事を取らない絶食状態に陥った。
両親は、配膳された食事が手つかずで、固く干からびたご飯がそのまま戻されて行くのを見るたびに、心を痛めていた。どうしたら僕を元気づけられるのか、途方にくれていた。
何日経過しただろうか、僕は音のないモノトーンの世界を、水分しか摂取せずに彷徨っていた。意識が鈍化しているようだった。その時の僕には、とても長い歳月のように感じられたが、たぶん実際は、2〜3週間だったのかもしれない。ついに診断が下った。
「あなたは1型糖尿病です。一生、インスリン注射が必要です」
ショッキングな宣告だった。僕の未来は閉ざされた……と思えた。振り返ってみると、この発症から診断までが、30年間の1型糖尿病との生活にとっていちばん辛い時期だった。いつの時期よりも、始まりが大変で、不安だった。
僕1人だけではない、両親もショックで不安な時期だった。養老孟司氏の言葉を借りれば、1型糖尿病は「2人称の病」である。発症当時の両親は妄想が広がり続け「この子は、この先、結婚も仕事も出来ない、そんな体になってしまったのだ」と感じていた。決して僕には、言わなかったけれど。
慣れること
診断が下って、治療法が決まり、インスリン療法、食事療法、運動療法が始まると、今まで背負っていた重たいカバンが、少しづつ軽くなったような感覚だった。あの古い8mmビデオも、やがて人々の声が聞こえるようになり、風景も色づき始めてきた。
体調が良くなってきたのだろう、「少し前向き」な気持ちになったのを覚えている。医療関係者や家族、そして学校の先生など、周りの人からの支援も大きかった。そして、約60日間の入院後、不安ながらもシャバに戻ることが出来た。
あえて、僕の経験で言わせていただければ、やがて患者には、治療に慣れる日がやってくる。もちろん、薬とも治療とも離れることはできない。何をするのも、普通の人よりはラクではない。しかし、1型糖尿病との生活に、慣れる日は来る。
ただ、この「慣れる」には様々な意味を含んでいる。これから、次回、その次の回と、その奥にある深い意味を、綴っていこうと思う。
「慣れる」につれて、その過程で、自分の心に「闇」みたいなものがあることに気づいていく。いや、「固定観念」と言うべきか……。 続きは次回で。
もくじ
- 第1回 あなた、一生、インスリン注射が必要です
- 第2回 人前で低血糖になるな
- 第3回 就活と見えざる何か
- 第4回 消えたインスリン
- 第5回 消えたインスリン その2
- 第6回 アルバイトの経験
- 第7回 大学での部活
- 第8回 社会人1年目、罹病10年目、マグネットへの羨望
- 第9回 1型糖尿病(23歳、男)の性
- 特別寄稿「被災した糖尿病患者さんへ」
- 第10回 表彰状の行方
- 第11回 トップセールスへの道 ―超速効型の登場と低血糖―
- 第12回 仕事に打ち込む夏 ―データか、センスか―
- 第13回 お酒と血糖値と現実と
- 第14回 恋人ができるまで
- 第15回 低血糖との戦い
- 第16回 徐々に襲いかかる合併症
- 第17回 インスリン注射の早わざ
- 第18回 糖尿病とカンセン
- 第19回 1型糖尿病は僕の性格をも形成する
- 第20回 一生続く不安と、どう向き合えばいいのか
- 第21回 5年後の自分とセールスという仕事
- 第22回 朝の血糖値と覚えてない低血糖
- 第23回 シックデイの苦しみ
- 第24回 1型糖尿病と自律神経と運動
- 第25回 超えられる壁 越えられない壁
- 第26回 1型糖尿病のポテンシャル
- 第27回 心のそこにあるモチベーション