私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み
02.診断基準がないのに診断していた
1. 尿検査は医師の仕事
糖尿病の診断基準は1955年頃まではなかった。内科診断学書にも症状と尿糖検査法のことしか書かかれていなかった。当時の内科外来では、新患患者さんには看護婦が身長、体重、脈拍数と体温を測り、新入医局員が血圧を測った。すべての患者さんにガラスのコップに尿をとらせ、新入医局員が尿を試験管にとって、ズルホサルチル酸試薬を滴下してたんぱくの有無、ニーランデル反応で糖の有無をみた。ニーランデル反応では尿糖の濃度に応じて褐色、黒色と変わり、トロンメル試験では硫酸銅の青色が黄色、褐色となり、ベネデクト試薬では図のように変色した。糖の検査ではいずれもアルコールランプやブンゼン燈で加熱して反応させてたが、試薬によって加熱する場所にコツがあった。
Benedict試験 |
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2. 三多一少、顔貌やズボンの白点
大学病院を訪れる糖尿病患者さんは、他院で尿糖を指摘されて来院した方が多く、また症状を聞いても多飲、多尿、多食、体重減少など中国の医師たちの造語した高血糖の三多一少の症状のある人が大部分で、問診だけで診断のつくような症例であっ3. 村の診断屋さん
現在はトイレが水洗式であるが、1970年以前は水洗トイレが少なく、大都会でも汲み取り式のものが普通であった。屎尿の貯槽は汲み取り屋(汚穢屋:おわいや)さんにより汲み取られ、肥料にされたので腸管内寄生虫が蔓延していたわけであ
米陸軍落下傘部隊のR. Lynn Johnson氏が
1947年撮影(グラフせんだいNo.83、2000年より) |
※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。
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