DMオピニオン

インスリンとの歩き方
著/遠藤 伸司

2018年02月16日

第21回 5年後の自分とセールスという仕事

第21回 5年後の自分とセールスという仕事

 本人の希望や好き嫌いなどとは無関係に、会社に勤めていれば人事異動はやってくる。

 入社してから数年が経った僕は、ずっと同じ部署で働いていたけれど、規模の大きな会社だったため、営業マンを管理する、いわゆる「課長」とか「部長」とよばれる僕の上司は2〜3年に一度のペースで変わった。このような人たちはもう車は売らずに、管理職に徹した。

 そして人事異動は、僕が月に一度診察に通っていた白い巨塔でも行われた。糖尿病になってから十数年が経過していたから、僕の担当の医師も、会社の上司のように何度か変わった。

 会社では、好きな上司や嫌いな上司、部下を踏んづけて出世する上司や説教ばかりする上司など、多様な上司がいた。そして蝉時雨が始まる7月に、4人目の上司が僕の営業所に赴任した。その新しい上司のKさんに、僕はまず1型糖尿病であることを伝えた。

「私には1型という糖尿病の持病がありまして...」

いつものように2型の糖尿病と勘違いされないように、1型を強調した病気の紹介から僕は始めた。

「1型糖尿病だと何か注意しなければいけないことはあるの?」

「はい、低血糖になったときに、ブドウ糖を飲まないと倒れてしまうことです。それと、食事の度ごとにインスリンを打たなければならないことです」

「そうですか。それじゃあ、今まで大変だったでしょう」

今まで大変だったでしょう…すごく嬉しい言葉だった。いえいえ、そうでも…とは答えたけど、はい、ちょっとだけ大変でした、と僕は心の中で呟いた。

「いつ1型糖尿病になったの?」

Kさんはまだ聞いてくる。

「はい、中学1年生のときです。」

「どうしてわかったの?」

「学校の健康診断で尿に糖が出ていて、すぐに近くの病院に行きました」

「そうですか。僕も人事異動後でわからないことだらけですので、よろしくお願いします。」

5年後の自分

 その上司が赴任し、月日が流れ、会社は新年度の10月を迎えた。新年度となると、僕の会社も御多分にもれず、上司との個別の面談があった。この個別面談が意外と厄介で、5年後の自分は何をやっていたいのか?とか、今年の自動車の目標の台数は何台?など、いろいろなことを具体的に書かねばならない質問用紙を、上司から渡されるのだ。

 車を売るためなら、自分の守備範囲を逸脱、つまり、高い血糖値やHbA1cなど、ある程度は覚悟していた。だから、かなり悲観的に考えれば、5年後に自分が本当に生きているのかさえわからない状況で、いったい何を書いたらいいのか。果たして5年後も健康に働けているのかどうか。僕は、その用紙を目の前にするといつも悩んでしまうのだった。

糖尿病治療への忠誠心の低さ

 思い返せば、タバコを吸い、酒を飲み、インスリンの単位は勘で決め、その上、フットケアもしていない日常を送ってきた。革靴を履いて長時間、運転をしていると、足が悪臭を放つほどの状態でありながら、糖尿病治療に熱意のない僕だった。

 足の悪臭については、あまりにも恥ずかしいこともあって、僕は医師や看護師さんにはちっとも相談をせず放っておいた。けれど、もし糖尿病患者さんで、何か足の症状で異変があれば、僕のように放置しないで、すぐに主治医に相談したほうがいいと思う。いまでは資格を持ったフットケア指導士もいる。

 そんな僕が、たとえ最新の医療機器を使っていたとしても、果たしてHbA1cは下がったのだろうか。ちなみに現代のインスリンポンプは、食事のたびに針先のある注射器をブスブス打つ必要がなく、24時間の血糖値も測ってくれて、より人の膵臓に似た形でインスリンを注入してくれるように進歩している。

上司がやってくれたこと、僕がやったこと

 ただ、上司がKさんに変わった頃から、僕の車の販売はものすごく好調になった。Kさんは阪神ファンで、なぜだか1型糖尿病のことをすごくよく理解してくれていた。ただ、個人的に話せば話すほど、非の打ちどころないKさんは、あまり気軽に話せるような相手ではなく、体格も大きかったため、まるで中学生と先生のようだった。

 そのため異動してきたときは、Kさんと話すのが苦手だったけれど、僕にとってとても仕事のしやすい環境を作ってくれた。例えば「1型闘病尿とはどういう病気なのか」を他部の上司に説明してくれたり、低血糖と思えるようなときには、素早く「大丈夫?」と声をかけてくれた。

 「人は好き嫌いで自分の行動を決めるんだ。だけど、その感情で動いていたら、車をたくさん売ることなど出来ないのはわかるよね。」

 このKさんの言葉は今でもはっきりと僕は覚えている。

 これに対し、僕がやったことといえば、飛び込み訪問や、顧客へ沢山の手紙を書くとか、親戚や知り合いへの電話などだった。既に購入してくれた顧客に紹介依頼などもした。そういった地道なことだけだった。けれど、その活動は、血液に吸収されて血糖値を下げるまで時間のかかる昔のインスリン製剤のように、じわじわと効果を表してきた。

 昔のレギュラーインスリンは、2量体ないしは単量体になるまで時間がかかった。僕のセールス活動も、ある時点で効いてきたのか、ドーッとまとまって押し寄せて来た感じだった。

 こうなると不思議なもので、営業の仕事はこの世で一番楽しい仕事となった。こちらからアプローチせずとも、顧客から「車が欲しい」「あなたから車が買いたい」という電話さえかかってくる夢のような日々が訪れたのだった。

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