私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

53.神経障害治療薬の開発

1. ARIの開発競争
 キネダック(小野薬品)が治療に用いられ、しかも他のARI(アルドース還元酵素阻害薬)のような強い副作用がないことから、次第に広く用いられるようになった。医師の中には神経痛様作用の軽減など速効性効果を期待する者も多く、作用機序の理解をいただくのに時間を必要とした。
 製薬会社では内外を問わずARIの開発に熱心で藤沢薬品K.K.ではZenarestatを開発し、第1相試験を終え第2相試験より治験を依頼された。キネダックの治験では有効性の評価に厳格な客観指標のエンドポイントはなかったが、やはりそれをやらなければ国際的にも認められないだろうという考えになった。振動覚計もnm単位で測定できる機器も作製していただいた。
2. 神経興奮伝導速度測定の標準化講習会
 末梢神経興奮伝導度(NCV)は1966年より外来診療に用いていたが(No.33参照)、ロンドンで研究を終えた弘前大学第三内科の馬場正之博士、また京都大学神経内科の木村淳教授より有益な助言をいただいた。特に木村教授は米国でNCVの実施講習会をやっておられたとお聞きして、ぜひその方式でやってくださることをお願いし快諾を得た。
 Zenarestatの開発にはぜひ評価にNCVを用いたいという藤沢薬品の要望もあって治験に参加するグループのNCV担当者を一箇所に集めてNCVを実施させ、細部に至るまで木村教授と教室の方にチェックしてご指導いただき、実施法が均一になるようにした。実施したNCVの波形はFaxで京大に送り、評価に耐えうるか否かを判定し、駄目なものは合格するまでやり直した。この講習は1991年に行った。
 32施設の実施者が実施方法が正しいことをチェックを受け、健常者を対象として上肢、下肢について正中神経、脛骨神経、腓骨神経について運動神経伝導速度(MCV)、知覚神経興奮速度(SCV)、F波伝導速度を測定し、その記録波形を京都大学神経内科にFaxで送ってチェックを受け、2週間後に同一健常者、同一測定者が再度測定を行って波形と測定値のチェックを受けた。それまでこのような講習会は開かれたことがなかったので参加者からはたいそう好評であった。
 第1回目と2回目との記録をFaxで送ったものと比較し、その相関をみると図1のようにもっとも相関の良いのはF波最小潜時で(図の下)、ついでF波伝導速度(図の中央)で運動神経伝導速度(図の上)は最も相関が良くなかった。通常の伝導速度に比べてF波伝導速度の方が相関が良いのは、測定する神経の距離が前者に比べてF波では長いことによるものである。そしてF波最小潜時が最も良いのは、その測定に最もアーテファクトが入りにくいことによると説明された。
図1 神経伝導速度を同じ人が健康な人を1〜4週間間隔で2回測定したときの再現性の比較
△印は男性○印は女性。Rは相関係数。
脳波と筋電図 22(4)、384-393、1994より
 第3相試験に進み参加施設は65施設に拡大し、同様に講習を行い、そして糖尿病をもつ人についても同意を得て1〜4週間をおいて同じ人が同じ方法で2度目の測定を行った。その第1回と第2回目の検査値の測定間変動範囲(RIV)は
として求めた。また異なるパラメーター間の信頼性比較の指標として級内相関係数(ICC)を用いた。測定誤差が全くない場合はICCは1で、誤差が大きくなるとICCは0に近くなり信頼性が低くなることを示す。表1の(2)には健常者と糖尿病をもつ人に分けてICCを示した。この値が1に近いほど再現性が良いことを示し1より遠ざかるほど再現性が悪いことを示す。このようにして表1をみると(1)の相関係数では最も良いのが正中神経のF波最小潜時(r=0.908)ついで脛骨神経のF波最小潜時(0.899)であり、次にはF波伝導速度で正中神経(0.849)、脛骨神経(0.846)である。
 また(2)のICCをみてもF波最小潜時が良く、次はF波伝導速度という傾向は変わらない。これらのことからARIの治験のエンドポイントはF波最小潜時で行うことになった。
表1 神経伝導速度等の測定値の再現性の検討
神経と測定
(1)1回目と2回目の
測定値の相関係数
(分析例数)
(2)1回目と2回目の検査値の
級内相関係数(ICC)
健常者(人数) 糖尿病のある人(人数)
正中神経(運動)
複合筋活動電位(CMPA)の振幅(mV)
0.756(101) 0.777(101) -
末端潜時(TL)(msec)
0.818(101) 0.826(101) 0.945(148)
F波最小潜時(FWL)(msec)
0.908(90) 0.939(90) 0.927(147)
運動神経伝導速度(MCV)(m/秒)
0.496(101) 0.592(101) -
F波伝導速度(FCV)(m/秒)
0.842(90) 0.853(90) 0.875(147)
正中神経(感覚)
感覚神経活動電位(SNAP)(μV)
0.821(103) 0.834(103) 0.909(126)
感覚神経伝導速度(SCV)(m/秒)
0.491(103) 0.613(103) 0.934(126)
脛骨神経(運動)
複合筋活動電位(CMAP)の振幅(mV)
0.834(107) 0.846(107) 0.886(142)
末端潜時(TL)(msec)
0.586(107) 0.617(107) 0.663(143)
F波最小潜時(FWL)(msec)
0.899(70) 0.921(70) 0.925(140)
運動神経伝導速度(MCV)(m/秒)
0.579(107) 0.542(107) 0.742(143)
F波伝導速度(FCV)(m/秒)
0.846(70) 0.873(70) 0.920(139)
腓腹神経(感覚)
感覚神経活動電位(SNAP)(μV)
0.684(101) 0.767(101) 0.909(126)
感覚神経伝導速度(SCV)(m/秒)
0.797(101) 0.699(101) 0.934(126)
(1)脳波と筋電図 22巻4号、384-393、1994より  (2)糖尿病 42巻 12号、983-989、1999より
3. 手技を標準化し治験を行う
 木村淳教授らによる講習会は藤沢薬品の骨折りで東京などのホテルで行われ、それによって電気生理学的検査の手技は標準化された。これはわが国のこの分野における画期的なことであった。これをもとに藤沢薬品のFK-366(Zenarestat)の治験が進められた。そして第3相が終了し、エンドポイントを比較したが、残念ながら有意の差はなく薬とすることができなかった。
 米国ではミシガン大学のD. A. Greene教授らが中心となってZenarestatの第2相試験が進められ、腓骨神経の伝導速度、また神経生検による神経線維密度などが、ブラセボ、150、300、600mg投与の4群について比較され用量反応的に良好な成績が得られた(Neurology 53巻 580-194頁、1999年)。残念ながらそれ以上は進められなかった。
 またロシュでもARIを開発し、その説明会にも出席しアリゾナ州フェニックスでリサーチ・コーデネーターと治験医師に対する説明会が開かれ出席した。3cm程もある分厚い説明書をもとに4、5時間みな熱心に耳を傾けているのをみて、将来はわが国でもこのようになるだろうと思いながら参加した。ARIについてはこの他にも1、2治験が行われたが、まだ第3層をクリアしたものはなく、ARIについても悲観的に考えてる研究者もいる。
4. キネダックの有効性が再評価
 ARIの中で薬剤として使用されているのはわが国のキネダックだけである。弘前大学の馬場正之博士らは神経症状のある症例を2群にわけて3年間追跡し、キネダック投与群では症状のみならず神経伝導速度も改善されることを証明した。また名古屋の堀田饒院長らもやはり電気生理学的に有効性を証明された。ARIの開発は現在もなお続いている。

(2007年05月15日更新)

※ヘモグロビンA1c(HbA1c)等の表記は記事の公開時期の値を表示しています。

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