私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

43.糖尿病の増減

1. 戦争と糖尿病
 第二次大戦時に糖尿病が激減したことは筆者に大きなインパクトを与えた。筆者らは外来および入院病歴を調べて正確な数字を作り、当時、厚生省より公表された国民1人当り1日の栄養素摂取量の統計を参考資料として用い図1のような題で発表した(1958年)。この報告は当時出版された多くの本に引用された。

 また、わが国で糖尿病患者が増加してきた頃に国民の脂肪摂取量が増加したことも目立ったことだったので、この2つを関連づけた。ドイツのSchliach, V(1954年)も戦後糖尿病患者が増加したときは脂肪摂取量も増加したと報告していた。
2. 脂肪摂取と糖尿病
 ロンドンのHimsworth(1935、1949年)は各国の糖尿病の死亡率と国民の栄養素摂取量との関係が図2のように、脂肪の摂取量の多い国ほど糖尿病死亡率が高く、また炭水化物ではこれと対照的に摂取量の多い国ほど糖尿病が少ないという傾向がみられると報告した。この成績をもとにHimsworthは脂肪摂取が糖尿病の増加と関係すると結論した。筆者はこれに興味を抱き、追試して同様な成績を得たが、次に粗死亡率ではなく訂正死亡率について関係を求めた。

 その結果は図3のように相関関係は認められなかった。このことから、Himsworthがみていたのは脂肪摂取量の多い国は豊かで糖尿病罹病年齢まで生存するのに対し、経済的に遅れている国では脂肪摂取量が少なく、安価な炭水化物をエネルギー源として、しかも糖尿病罹病年齢まで生存する者は少なく、若年期に死亡する者が多いことをみているにすぎない、と理解された。このことから脂肪摂取が糖尿病の発症と関係するという説は否定された。動物に大量の脂肪を与える実験も行われたが、これによって糖尿病が現れたという報告もなかった。

図2 各国の1人1日当り蛋白、脂肪、炭水化物摂取量のエネルギー割合と粗糖尿病死亡率との相関

図3 訂正死亡率との相関
3. 糖尿病増加の原因は
 糖尿病の有病率、死亡率の年次推移をながめ、それに関連するものをあれこれ考えてみた。当然のことながら栄養素摂取量の変遷も調べた。1975年時点では脂肪摂取量は上昇を続けているようにみえ、生活様式が西欧化の方向を目指していたが、脂肪摂取量が糖尿病人口を押し上げているとは結論できなかった。糖尿病が多くなる老齢人口の増加も関与すると思われた。

 次に運動量の数値化を探したが、小児の体力についての統計はあっても、国民の体力や運動については数値は見当たらなかった。そこで仕事の機械化、自動車の利用をみると、自動車の登録台数を知るのが手っ取り早いと思いつき、陸運局に入ったニ高の同級生がいたのを思い出し、仙台の陸運局から資料をいただいた。

 このようにして運動量の減少を間接的に示す指標を得ることができ図4を作った。この図は当時の糖尿病の問題点をわかりやすく示していると思われたので、青森県糖尿病新聞「いずみ」に連載していたQ&Aを主婦の友社から「糖尿病の本」(図5)として出版したときにこの図を入れた。

図4 日本の糖尿病の有病率、死亡率と栄養素摂取量などの推移の比較
4. BMIの変化
 年齢別のBMIの推移をみて、それが年々増加していく傾向が明確に出ていた。そこでこのBMIの増加が原因とするのがもっとも無理のない説明に思われた。

5. 国際シンポジウムの開催
図8 
Tohoku Journal of Experimental Medicine、Vol. 141、1983
 糖尿病の疫学について関心をもち成書を読んだが意外に情報が少ないことに気付き、この分野はもっと研究を盛んにする必要があると思われた。そこで疫学に関する国際シンポジウムを開催することを考えた。当時国際シンポジウムを開いていた神戸の馬場茂明教授に相談し、メルボルンのPaul Zimmetとともに副会長に就任をお願いして、次にWHOに後援をお願いした。WHOは西太平洋地域のことはマニラの事務所に問い合わせて欲しいとのことであった。マニラの事務局長は日本人であったが、感染症で手一杯で糖尿病には関心がなく、後援名義も出せないとの返事であった。当時、糖尿病研究者はいまに増加して大変なことになると予測していたが、厚生省もWHOも糖尿病への関心はなかった。

 国際シンポジウムは1982年8月20日、21日の2日間仙台で開催、そのときの参加者の集合写真が図7である。前列左端が男性型肥満と糖尿病との関係を指摘したVague教授、その次がPima Indian研究のBennett博士、次が米国公衆衛生のHarris博士、馬場、Zimmet、後藤の次はFajans教授、インドのAhuja教授、インドネシアのWaspadji博士、第2列の左端は北京の池教授である。同時の糖尿病の研究者を知る良い記念写真となった。図8は記録である。

図7 

 このシンポジウムで筆者は図5図9を発表した。その図は現在は図6図10に発展している。


(2006年07月04日更新)

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