私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

42.日本糖尿病協会が20周年を迎える

1. 日糖協は学会のIDF加入のため設立急ぐ
 日本糖尿病学会は1958年に結成されたが、IDF(国際糖尿病連盟)の一員となるにはレイマン部門が一緒である必要があった。当時各地で友の会ができていたので、それらの連合体として日本糖尿病協会が結成された。その創立総会は1961年9月29日に行われたことなどを No.16 に詳述した。発足当時は10支部であったが次第に支部の数は増加し、1978年沖縄支部の結成を最後に全国の都道府県に支部が揃った。そのとき会員数は20,314名であった。
 それから3年後の1981年に日糖協は創立20周年を迎えた。理事長は1968年就任の橋本関蔵氏で協会の発展には非常なご尽力をなされた(図1)。
2. 創立20周年記念式典が華やかに開催
 20周年記念式典は9月26日東京丸の内の東京商工会議所4階ホールで挙行。「さかえ」21巻6号に掲載された記事によれば(図2)当時は竹田正次(加古川)、山田弘三(名古屋)、中尾喜久(東京)、葛谷信貞(東京)、堀内光(東京)、日野佳弘(東京)、和田正久(大阪)、阿部正和(東京)、小坂樹徳(東京)、平田幸正(東京)、後藤由夫(仙台)、榊田博(京都)、山吹隆寛(岡山)、三村悟郎(沖縄)、坂本信夫(名古屋)、吉沢国雄(浅間)、宮村敬(和歌山)、石渡和男(東京)らをはじめ協会役員や会員を含め400余名が参集。午後1時、記念映画「幸せに向かって・日糖協20年の歩み」の上映が始まった。
図1 日糖協創立20周年記念式典 (橋本理事長のご挨拶)

図2 

「さかえ」(左)21巻6号
 式は会長欠席のため橋本理事長が式辞を代読、日本糖尿病学会堀内光理事長祝辞、日医武見太郎会長祝辞は熊谷洋副会長代読、厚生省大谷藤郎局長の祝辞が続いた。その後約40分にわたり東京都済生会中央病院堀内光院長による「糖尿病の管理」と題する特別講演があり自己管理の必要性が解説され多くの感銘を与えた。
 またこれに先立ち橋本理事長より創立以来の功労者62名に感謝状と記念のブロンズ像「虹の女神」が贈られた(図3)。
図3 ブロンズ像「虹の女神」
3. 日糖協名誉会員の表彰が始まる
 20周年を記念して名誉会員制が実施されることになり、名誉会員40名にも表彰状と記念の盾が贈られた。それから祝宴となった。
 これらは上述のように「さかえ」に記されているが、この他に日糖協20年史と別冊:支部史篇がそれぞれB5判300頁の箱入り本として上梓され詳述されている。この当時は5年毎に「さかえ」の増刊も発行され、歴史を刻むことをしっかりと見つめようとしたことがうかがわれる。この当時は会員数は2、3万人で患者数に較べると少ないものであった。
 橋本理事長は法人化すべく厚生省に頼みに行かれたが、いつもあるところまでいくと係官が変わってまた一から話さなければならないと、言っておられた。担当官ははっきりと方針を示したり、見込みを言わないので、依頼する側は不必要なエネルギーを消耗させられ不愉快な思いをするわけで、これは公僕のやることではなかろう。公僕がいつの間にかサービスをやるものではなく、お上意識になって昨今の社会保険庁のようなことを反省も自戒もなく繰り返しているのは困ったものである。
 橋本理事長は老齢にもかかわらず厚生省の若い係官に何度も説明にお百度を踏み、十数年もかかって1987年にようやく社団法人になった。いまは糖尿病人口の激増で政府も日糖協に協力を頼んでいる状況である。

(2006年06月01日更新)

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