私の糖尿病50年-糖尿病医療の歩み

11.経口血糖降下薬時代の幕開け

1. 飲んで効くインスリン
 インスリンは1921年に発見され翌年から臨床に用いられた。インスリンを注射すると、やせ衰えて虚ろな目をしていた幼児が、元気を取り戻してみるみる肥るのは、それまで予想もしなかったことで、まさに魔法の薬であった。
図1 ランゲリンの広告

 わが国の健康保険制度のことを調べていたら1926年の医海時報539頁に図1の糖尿病内服薬の広告が目に入った。ランゲリンという名称はランゲルハンス島をもじったものと思われるが、インスリン発見後間もない年月なのに、当時の人達もやはり内服薬を求めていたことを知ることができた。広告にある内容を抜粋すると「インシュリンは糖尿病に対し無二の治療的価値を有するも、毎日2、3回づつ連続注射の要あり、かつ時として血糖急下の危険を伴うため主として重症特殊の場合を除く外一般に使用し得ざるを遺憾とされしが、ランゲリンはこれを一層簡便実用化し、かつその作用を緩慢持続的ならしめ、経口的に用いられるも胃腸内酵素によって分解を受けざるよう特殊操作によりて製出されし唯一の製剤なり。」とある。また「血糖過少の危険を絶対に欠くが故に、糖尿病の大多数を占める軽症並びに中等症に最も適応す。」とあり、中央の謹告には「従来インシュリンの内服は無効とされしが故に、ランゲリンもまた同一ならんと想像する人あれど、正常家兎、健康人および糖尿病患者に対する吸収作用及びその反応試験は明らかにかかる仮定の誤れるを示せり、ランゲリンは既に世界各国の臨床家2百数十氏により推奨され、経口的応用に成功せし唯一のものなりとの定評あり云々」、そして、「毎粒4単位づつを含有し、実験上その一丸は約8gの糖を同化利用する云々」とある。製造元はドイツザールブルッケン微生物研究所である。70年以上も前の話で、その後この薬がどのような経過をたどったのか知る由もない。
2. SU剤の導入 第1日3g、第2日2g、第3日維持量の方式で
 糖尿病の人達は有効な内服薬の出現を渇望していた。臨床家も有効で副作用のない内服薬の開発を待望していた。そんな中で、飛び込んできたのが BZ55、ヘキスト社(現アベンティス社)の Invenol(カルブタミド)であった。これは1955年、ベルリンのオーグステ・ビクトリヤ病院第1内科 Franke と Fucks がべーリンガー・マンハイム社のサルファ剤の臨床試験中に低血糖作用を発見、9月にドイツ薬理学会で発表したものであった。文字通り血糖が下がり尿糖排泄量が減少した。BZ55 は Blutzucker(血糖)1955年に由来する名称とのことであった。当時、わが国の医薬品の許可は速く、56年1月15日べーリンガー社から Nadisan、ヘキスト社からインベノールが発売されるとともに日本でも試用された。
 さて、使用法は斬増法ではなく、現在から見ると危険に思われる斬減法であった。それより5、6年前に入って来たペニシリンの効果が余りにも強烈で、そのペニシリンは斬減法で使用されていたので、それに倣ったのであった。インベノールの用法には、「第1日3g、第2日目2g、第3日目より維持量として1gを、何れも1日量として2、3回に分服する。食前服用が適当であるが、胃腸障害のあるときは食後にする。症状により1日1.5g〜2gを適当とする」と記されている。
 インベノールは1956年8月16日許可、9月21日にヘキスト AG、興和新薬より発売された。同年9月には小野薬品よりメリトス、11月には住友化学よりロバンとして発売された。筆者ら長町分院グループも56年10月よりインベノールを使用した。それらのうち若年糖尿病でインスリン治療を行った3例について併用あるいは1時的切替えなどを行った。その結果は図2〜4のように効果が著明であったので治療(39巻10号、1143-46、1957年)に報告した。

図2 第1例、22歳、女性
17歳のとき胸膜炎と糖尿病にて某病院入院し軽快退院。1年後肺結核を発病し入院。インスリン1日60単位注射していたが尿糖15g前後排泄するのでインベノールを初日に6錠(3.0g)、2日目5錠、3日目3錠、4日目以降2錠を併用し図のように尿糖排泄はなくなった。
治療 39,1143-1146,1957より

図3 第2例、19歳、女性
2週間前より全身倦怠、多食、口渇があり糖尿病として紹介入院。空腹時血糖301mg/dl 、インスリンを減増し60単位で尿糖消失、以後減量し、インスリン中止したところ5日目より1日10g前後の尿糖排泄あり、インスリン15単位で消失。しかし中止すると尿糖出現するので、インベノールを第1日目5錠、2日目3錠、3日目2錠を投与し図のように尿糖陰性となる。
治療 39,1143-1146,1957より

図4 第3例、18歳、男性
17歳のとき口渇、多尿があり糖尿病として某病院で70日間治療し軽快退院。10カ月後視力障害が現れ紹介入院。眼科で糖尿病性白内障と診断され、糖尿病コントロール後手術施行し退院。退院10カ月後コントロール不良となり外来で NPH 1日60単位まで増量したが尿糖排泄20g以上なので、インベノールを第1日6錠2日目以後3錠を併用し尿糖は陰性となり、図のようにインスリンは漸減された。
治療 39,1143-1146,1957より

 インベノールはよく効いたが、スルホンアミドのように造血系への副作用がみられることから、図5の広告のラスチノン(トルブタミド)が1956年11月28日許可、57年3月11日発売となった。適応は中年以上の真性糖尿病、用法は第1日2〜4g、第2日1.5〜2g、第3日以降1.0〜1.5g、以上1日量2〜3回食間及び食後に分服、と記されている。57年7月には小野薬品からメリトス−D、9月に中外製薬からジアベンとして発売され、東京田辺製薬からはランゲリン−Sという名で63年9月より発売された。ランゲリンの名のリバイバルである。
 残念ながらインベノールの広告や写真が見当たらないが包装や剤形は図5のラスチノンの写真と全く同じであった。ラスチノンもよく効いて今日なお使用されている息の長い製剤である。
 インベノールもラスチノンもインスリンの代わりになるものではないと記されていたので、インスリンを中止してこれに切替えることはなかった。しかしインスリンの量が少なくなるという報告はみられた。これは現在でもSU剤とインスリンを併用しているのと同様である。

図5 ラスチノンの広告
図6 アベタールの広告
3. ビグアナイド剤も
 グアニジンに血糖降下作用のあることは1918年エール大学病理化学の C. K. Watanabe により報告されていたが、1929年 K. H. Slotta と R. Tschesche はビグアナイドのアルキル誘導体に血糖降下作用のあることを報告した。その後、副作用で消えたジンタリンの時代を経て、Oraganotherapeutische Werke では蛋白結合グアニジン1mgに幼牛の動脈の内膜、中膜より抽出したホルモンと血液分解産物の結合体アニマザ50mgを含有するグアベタ錠が1950年許可、1953年9月より東京田辺より糖尿病内服治療剤として発売された。治療報告もあったが、インベノール発売後は殆ど使用されなかった。 ニューヨークの US ビタミン Corp. の G. Unger、L. Freedman、S. Shapiro らはフェンエチルビグアナイドに強力な血糖降下作用のあることをアロキサン糖尿病動物を用いて実験し、メトロポリタンメディカルセンターの J. Pomeranze、H. Fujiy、G. Mouratoff らが少数例の臨床効果について報告した。彼らは、効果はSU剤を凌ぎ、従来の内服糖尿病治療剤で無効な若年性ないしやせ型糖尿病やインスリン抵抗性の患者にも有効であると述べている。またサル、モルモット、ウサギ、ネコ、ラットを用いた実験で投与5時間後に血糖が最大降下し、24時間で回復。アロキサン糖尿病動物では3〜5日間投与で血糖が正常化すると述べている。
 わが国では57年より臨床試験が行われ、1959年2月よりインシュロイドとして小野薬品から発売された。その後61年8月よりアベタールとして武田薬品から発売された(図6)。ビグアナイドはそれから40余年間作用機序が不明のまま使用されることになった。

(2003年11月03日更新)

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