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第41回EASD(欧州糖尿病学会)に参加 1

2005年10月


機内食(ダイアベーティスミール)



各国ブースが並ぶ会場

IFLのスタッフとペンデセイ先生とブース前にて

EADS会長と

ドイツ糖尿病連合の会長と

(中央)IFLオーストラリアのニールさん
(右)IFLドイツのハイディさん


オリンピックスタジアム

5キロラリーのスタート地点

ピンクのジャージを着ているのがニコールさん

ブービー賞のフィンランド人参加者と
(3人とも1型患者)
 9月10日から15日まで、ギリシアのアテネで開かれた第41回EASD(European Association for the Study of Diabetes:欧州糖尿病学会)の会合に参加しました。
 今回もオーストラリアのIFL(Insulin For Life)のスタッフとしての参加となりました。
 ヨーロッパの会合ということだったのですが、世界中から色々な糖尿病関係者の方々が参加していました。
 今回は、IFLのニールさん、アリシアさん、IZL(Insulin Zum Leben:IFLドイツ支部)のハイディさんたちと再会し、ハイディさんのアシスタントとしてドイツ糖尿病連合のサベナさんが参加していました。今回は、英語とドイツ語のフル稼働状態でした。  あと、あの元ミスアメリカのニコール・ジョンソンさんとも“再会”できました。ニコールさん、来年1月には、ママになるそうで、今回以降、少々旅行はお預けということでした。
 良く学び・良く遊べをモットーとしている私ですので、もちろん、アテネ市内観光を楽しみ、帰りにはローマに寄って“ローマの休日”も楽しみました。

アテネへ出発

 アテネへは、直行便がないため、今回は、アリタリア航空で、行きはミラノ、帰りはローマ経由で行きました。
 飛行機を予約した時点で、糖尿病でインスリンと注射器を機内に持ち込むことと機内食に糖尿病食を予\\\\\\約することをすっかり忘れており、出発の2日前に慌てて航空券を手配してもらった旅行会社に申請した状態でした。回答は、「機内食については、当日にならないとわからない。インスリンと注射器については、搭乗前に乗務員に預ける」ということでした。
 当日、成田へ行き、発券手続きをするときに係員から「インスリンはどれくらい持ち込みますか」と尋ねられ、「注射器(ペン型)1本とカートリッジ1本です」とかなりの過少申告をしました。実は、「預け用のダミー」を準備し、いつも使う分は、「ペンだ」とごまかしてあくまで自分の身につけるつもりでした。やはり、インスリンなしでは生きることができない身にとって、他人任せにするのは非常に不安があります。しかしながら、実際には、預けることはありませんでしたし、機内食も糖尿病食が出されました。
 搭乗時の荷物検査も米国行きの時とは全然違って、靴を脱いだり、厚い本を取り出したり、目覚まし時計の電池を抜いたりという厳重な検査はありませんでした。

 ミラノでの入国審査もいい加減で、係官がパスポートにスタンプを押すドンという音がしたにもかかわらず、実際にはスタンプは押してありませんでした。アテネに着いてもEU国内間の便なので、国内線扱いとなり入国審査はなく、帰国時も然りでした。

 アテネへは深夜12時半に到着したので、前もって、すでに現地入りしているIFLのニールさんに迎えに来てもらいました。今回は、ニールさんと同じホテルに泊まったため、アテネでは、EASD関連以外の食事・買い物・観光でも、ニールさんと行動をともにすることになりました。

EASD会場へ

 地下鉄で7駅ほど先の駅から徒歩6〜7分ほどの会場へ、まずはブースの設営のために行きました。駅は、アテネオリンピックが開かれたオリンピックスタジアムの近くにあります。駅の通路には、「2005 EASD」と書かれたポスターが貼られ、「2005 EASD」と書かれたバッグを持った大勢の人たちがおり、皆、会場へ向かって歩いていました。

 今回は、ドイツ糖尿病連合とIFLのドイツ支部のブースに間借りするかたちで、IFLオーストラリアのポスターおよびオーストラリア国旗を貼りました。私は、前回サンディエゴで開かれた第65回ADA会議の時と同様、IFLオーストラリアのスタッフとしての参加です。ブースへ立ち寄る人たちは、やはり、ヨーロッパの国々人たちが多かったです。

 ここでも、サンディゴのADAの時同様、業者向けブースコーナーで見かけた日本人は少なくなかったのですが、我々のブースがあるヨーロッパ各国の糖尿病協会にあたる団体のブースや非営利団体向けブースでは残念ながら、ほとんど日本人の姿を見ることはありませんでした。それでも、発表会場へ足を運んでみると、多くのアフリカ・アジアの国々から来ている人たちがおり、特に北朝鮮からの参加者を見かけたときは、失礼ながらも驚いた次第です。

 ヨーロッパの国々の糖尿病協会にあたる団体は、一国一団体とは限らず、言語や民族的背景によって、複数あることも珍しくありません。

 高いレベルの社会保障に支えられ、糖尿病患者が恵まれた状況にある国もある一方、国内での所得格差の問題を抱えている国や旧東欧諸国を中心に糖尿病の治療そのものが難しい国もあります。  インドのドリームトラストのペンデセイ先生とも再会し、来年6月に予定されている札幌医科大学での講演についての打ち合わせもしました。

インスリンポンプ

 今回、IFLドイツ支部の会長であるハイディさんと患者として色々な情報交換をしました。ハイディさんは、元教師で現在はボランティアとしてIFLドイツ支部の会長をしていますが、本職は糖尿病エデュケーターです。病歴は、25年ほどで、私より少々先輩です。

 ハイディさんはインスリンポンプを使用しており、以前と比較し、現在のポンプは非常に性能が良くなっており、ダイヤルで注入量や注入スピードを簡単に操作できるようになっていると教えてくれました。また、常に差し込んでいる針も全然痛みを感じないということでした。

 「インスリン注射よりも、コントロールがしやすくなるから、あなたもポンプにすればよいのに」と勧めてくれましたが、入浴時や運動時に外さなければならないことを考えると今一つ煩わしさと不安な気持ちが混じって、積極的になれない状態です。
 今後、主治医と相談し、試しにトライしたい気持ちはあるのですが・・・・・・。
 どなたか、ポンプを使用されておられる方、アドバイスをお願いします。

 業者向けブースコーナーで、韓国のインスリンポンプメーカーが出しているブースで、説明も聴いたのですが、やはり、不安が残りました。ただ、韓国と言うアジアのメーカーが日本も含め、世界に向けてインスリンポンプを製造・輸出していることを知り、誇りに思う反面、統計上世界一1型糖尿病有病率が低い国の一つである韓国で、「糖尿病治療機器メーカーが活躍してしまう」のは、需要が増えているような気がしてしまい、何か複雑な思いでした。

5kmウォーク/ニコールさんとの再会

 ニールさんに誘われ、途上国の糖尿病患者を支援するためのチャリティーラリーに参加しました。5Kmのランニングまたはウォーキングでの参加登録をし、EASD会合が開かれているコンベンションセンターから海沿いにあるオリンピックスタジアムに沿うかたちのコースを走る、または歩きます。  スタートは、朝の7時。9月のアテネは、非常に日差しが強く、朝の8時には、かなり気温が上がるため、朝のうちに行われるということでした。

 当日、朝7時ギリギリにスタート地点に着き、スタート直前に元ミスアメリカのニコール・ジョンソンさんを発見。話をしているうちにスタートの合図が鳴ってしまい、一緒に写真を撮ってもらえなかったのが少々残念でした。ニコールさん、来年1月にはママになるとのことで、今回のEASD参加を最後にしばらく旅行はお預けだそうです。

 スタートから少々遅れた状態で歩き始めため、1km地点で、すでにランニング参加者のトップグループが折り返して道の反対側を走っている状態でした。オリンピックスタジアムを横目に見ながら、「野口みずき選手もここを走っていたのだなぁ〜」などと思いながら、マイペースでトロトロと歩き、しかも途中で写真を撮りながら歩いていたため、どんどん前を行く参加者達から引き離されてしまい、断トツのビリの状態でした。

 私が見た限り、参加者は皆、白人ばかりで、おそらく、アジア人は私1人で、しかも一番のチビでした。最後にビリでゴールした時は、拍手で迎えられ、テレビカメラとインタビューマイクを向けられてしまいました。それでも「足の長さからして、少しハンデをあげなきゃ」「日本人では1位だよ」などとの慰めの言葉も頂戴しました。

最後に

 今回のEASDに限らず、いつもながら、会場は非常に混雑しているのですが、今回の会合は、展示会場内の移動に非常に時間がかかり、また食事に関しても誘導・行き来する人々の流れが考慮されておらず、会場設営の効率性があまり考えられておらず、主催者の手際が悪さに苛立ちを感じたことも事実です。
 それでも、多くの国々の人たちと接することができ、IFLのスタッフたちやペンデセイ先生とも再会でき、多くの情報を集めることができました。

 日本では、残念ながら、糖尿病に対する社会的な理解や支援の面では、まだまだ欧米諸国より遅れていることは否定できません。
 欧米とは文化・宗教・社会的な背景が異なるのかもしれませんが、日本でも社会的な面で糖尿病患者への理解・支援、そして患者が自立的意識と誇りを持って生きることを目指して行かなければならないと感じました。国際糖尿病支援基金もいつの日か独立したブースを国際会合で出せる日を目指して、日々研鑽をしてゆく決意を新たにした次第です。
©2005 森田繰織
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