ガーナへの旅 3 [観光編] 抜粋・写真付
2004年09月
ガーナへ向かう途中で・・・ガーナもエチオピアも入国には査証(ビザ)が必要で、ガーナのビザを取得するためには黄熱病の予防注射が必要であった。今まで、アフリカ(南ア・ジンバブウェ・ケニア・タンザニア)南米を旅行する際、
・・・テロ対策で規制が厳しくなっていることから、事前に旅行会社を通じて、インスリン・注射器を持ち込まなければならないこと、機内食は糖尿病食を注文するということを連絡した。今までの経験から、糖尿病食なら血糖コントロールが上手くいく内容ではないのは承知しているのだが、もしインスリン・注射器類で何かあらぬ疑いをかけられたときに「糖尿病食も注文していますし・・・!」と対抗要件の一つとなるとの期待もある。・・・
・・・アフリカへ行くにあたり長時間フライトは避けられない。そこで、エコノミー症候群対策が必要となるのだが運悪く成田・バンコク間で通路側の席が取れなかった。自衛策として、私の場合、機内では血糖値は上昇傾向にあるため、ドリンクサービスでは脱水作用のあるお茶や珈琲は避けミネラルウォーターかビタミン不足を補うためにトマトジュースを注文する。機内は非常に乾燥しているためミネラルウォーターを持ち込みマメに一口・二口喉を濡らし、マスクをして寝る。席に座ったままでも足をマメに動かすことにしている。・・・
・・・機内食は、あらかじめ頼んでおいた糖尿病食が配られた。目分量カロリー計算ではあるが、結構、カロリーは多く、また6時間半のフライト中2回出されるため、ある程度セーブしなければ、血糖は上昇してしまう。・・・

一般食とDM食の違いは、バターの代わりにマーガリン、オニオンドレッシングの代わりに青じそノンオイルドレッシング、ご飯の代わりに粉ふきいも、ビーフステーキの代わりに白身魚のトマトソース和え、サラダの中のハムの代わりに茹でた白身魚、オレンジゼリーの代わりにカットフルーツと言った具合。このほかにも、バンコク着陸前に一般の人はモナカアイスが配られたが、私にはロールパンの野菜サンドが渡された。
・・・バンコクで、搭乗ゲートへ着くと、私のほかには白人が3〜4人いるだけで、もうアフリカ人ばかりで、異国へ来たという実感が湧き出してきた。揃いのバッグを持ち、首から同じ札をぶら下げている集団がいた。その中の数人と話し、バンコクで開かれていた世界エイズ会議に出席してエチオピアへ帰る途中とのことであった。・・・

エルシド先生は、今はエイズの専門医となったが、専門医となる前は、ゴンダールの病院に勤務しており、毎週金曜日に糖尿病外来を担当しており、1日100人もの患者を診察していたとのこと。


・・・糖尿病機内食を頼んであるとフライトアテンダントに言ったのだが、なかなか配られない。前食から長時間経過しており、そろそろインスリン注射の効力も切れ掛かっている時間であり、不安になってきたが、マジックでDiabetes(糖尿病)と書かれた機内食が配られた。通常食との違いは、肉の代わりに魚、ケーキの代わりに果物、というほかは、特にない。・・・
・・・数分後、誰かが私の肩をたたいた。すると、10代後半と思しき女性がビスケットを差し出して来た。特に睡眠薬強盗を警戒したわけではないのだが、英語で「糖尿病だから菓子は食べられない」と答えたところ、「ゴメンなさい」と言い、色々話しかけてきた。すると彼女の仲間達が集まってきた。訊くと、韓国の大邱(テグ)の大学のキリスト教ボランティアサークル仲間で、インドへ旅する途中だと言う。夏休み中、2週間ほど滞在し、布教活動の他、観光を楽しむ予定だと言う。日本に対する関心も深く、テレビ番組・映画・アイドル歌手の話で盛り上がり「ヨン様」とは何を意味するのかとも訊かれた。この後、布を丸めてビニール袋に入れた即席ボールを作り、空港の通路でサッカーを楽しんだ。別れ際に一掴みの飴を貰い、低血糖用として受け取ったのだが、この飴が後にエチオピアでとても重宝した。・・・


・・・目的地であるアクラに着いたのは、6時間も遅れて、午前11時だった。あまりに遅れたため、送迎者が空港にいるか心配であったが、ドゥアラで中国人の集団が降りた後、たった1人のアフリカ人以外の人間だったため、すぐに分ったらしく、アクラの旅行会社の運転手が直ぐに見つけてくれた。・・・



セントコースト城
・・・やがて、奴隷制が始まることになるのだが、初期の奴隷は、ポルトガル人がガーナ周辺のプランテーション農園での労働力として使用した、いわゆる内部奴隷であった。やがて、アメリカ大陸・カリブ海諸国へ労働力として大量に運ばれることになるが、400年間にアメリカへ連れて行かれたアフリカ人は、正確な資料はないものの400万人から4000万人(それ以上とする説もある)に上ると言われてる。博物館内には、奴隷船の船倉が再現されおり、3ヶ月間船倉に鎖で繋がれ、横に寝かされたままにされ、トイレにも行けないため、その場で用を足す(むしろ、漏らすと言うべきか)しかなく、自分の物だけでなく上段・隣の人の物にも塗れながら、口を無理にこじ開けられ、食事を流し込まれていたという当に生き地獄状態であったと説明されていた。・・・





・・・続いて、フセイン氏のガイドで奴隷達が船を待つ間、閉じ込められていたと言う地下牢を見た。一緒に回った4人のアフリカ系のアメリカ人は、自分達のルーツを探りにアメリカから来たらしい。男性用地下牢・女性用地下牢と分かれており、力仕事の多い奴隷としては、男性の方が需要が多かったため、男性1000人程、女性500人程が船積みされるまでの3ヶ月間、地下牢に押し込められていたということである。男性用地下牢は、30畳ほどの広さで床は土で、逃亡防止のため、トイレはなく、地上から1メートルほどの壁に白線が引かれており、ここまで糞便が溜まったということである。窓は、地上から4メートルほどのところに3つほどあるだけで、海辺とは言え、熱帯の気候下で30畳ほどのところに1000人も押し込められていれば、その熱気とトイレも入浴設備もない状態で、臭気は想像を絶するものであったに違いない。奥地で、奴隷狩りに遭い捕らえられ、首かせ・鎖でつながれ何日も歩かされ、その過程で弱って死ぬ者も少なくなかったらしいが、極悪の衛生状態の中、牢の中で死亡するものも少なくなかったらしい。船積みされる前に身体検査が行われ、不適格とされた者は、殺されたらしい。・・・




アクラ市内
・・・ガーナの首都であるアクラ市は、海辺の街で、大西洋に面している。英国統治時代に造られたという古い灯台や建物、市場、高級住宅街を車で通り過ぎる。高層ビルはないものの、中心部のいわゆるオフィス街には近代的な建物は立ち並んでいる。広場があれば、どこでも皆サッカーをしている。ガーナで一番人気があるのは、サッカーでプロとして欧州のチームで活躍している人も少なくないらしい。途中、独立記念門を挟んで独立記念広場とサッカー場がある。サッカー場には、試合が始まる数時間前というのに多くの人が炎天下で既に席に座って待っている。・・・



















・・・アクラ市内を車で走っていると、アウク氏が棺桶屋に連れていってくれるとのこと。観光に来て棺桶屋とはまた何とも不思議な思いであったが、ガーナでは、日本よりも死というものが身近なのかもしれない。棺桶といっても、とてもカラフルで、鶏の形、コカコーラの缶の形、ロケットの形など様々で、綺麗に彩色されており、遊園地の乗り物を思い起こさせる。製作過程を見せたかったらしいが、生憎、日曜日で工房が休みであった。通り沿いには、結構、棺桶屋さんが並んでいる。・・・


・・・エンクルマ大統領廟横に大統領に関する遺物が納められた博物館があり、ガイドの説明を聞く。革命や独立時のリーダーにはつき物であるが、投獄されたり、紆余曲折を経てガーナの初代大統領、いや黒人初の共和国の大統領となったにもかかわらず、後にクーデターで国を追われ、リベリアで最後を迎えたということ。その後、遺体がこの廟に移されたということである。・・・






アクラ市郊外
・・・郊外に出ると、緑が多くなり、茶色いシロアリの塔があちこちに見られる。シロアリの塔は、鶏の餌として重宝されるらしい。家々が集まる居住地・市場・学校が所々現れる。リベリア難民キャンプも通り過ぎた。道路は、舗装工事中のところが多く、雨季の雨でぬかっている。道路工事現場には、日本との共同プロジェクトと書かれ日の丸の描かれた看板が立てられている。途中凄い勢いで雨が降ってきたかと思うと、カラッと晴れ上がり太陽光がギラギラ差し込んでくる。
道行く車も殆どなくなり、スピードをドンドン出し始める。途中、森林・村・パイナップル畑やとうもろこし畑を見ながら、目的地であるセントコースト・エルミナへ向かっていく。アクラを出て、4時間ほど経ち、漁師町であるセントコーストの町に近づくと、子供達が道端で、両手に魚を掴みながら売っている。・・・





エルミナ城



奴隷制が本当に過去の遺物のように、地元の猟師が船を作っている。


左側;反乱を企てた奴隷が閉じ込められた牢屋。窓は全く無く、真っ暗で、換気もない。一旦、閉じ込められると、食事も与えられず、死ぬまで出られなかった。
右側;白人用トラ箱。酔ったり、暴力事件を起こしたりした白人が収容された牢。窓が数箇所あり、明かりが差し込み、換気もある。




・・・ホテルに帰った後、ホテルの売店にガーナのメーカーのチョコレートがあったため、土産用に購入しようとしたのだが、全ての在庫を合わせても10個程度しかなかった。とりあえず、全て購入した。翌日、コルレブ病院から空港へ向かう途中でも、数件、露天をハシゴし、40個までは調達できたが職場全部に配るには足りない状態のままであった。
この後、空港で80個在庫があり、結局80個全ての在庫を買い取ってしまうことになる。職場を始め友人、家族、主治医の先生、薬剤師さんたちと配ることになるのだが、このガーナ産チョコ、頗る評判が良かった。私も味見をしたかったのだが、旅行中の低血糖には、経験上チョコレートは吸収が遅いため向かず、家で低血糖が起きるのを待っていたため、帰国後2週間以上かかってようやく実現した。皆が言うように、日本のチョコレートよりも甘味・脂分が少なく、サッパリしていて美味しかった。冷蔵庫も冷房設備もなく、野外の露天で売られているため、脂分が多いと、熱帯の気候下では融けてしまうのであろう。・・・


©2004 森田繰織