糖尿病患者の海外旅行
2004年05月
海外への旅は人生の大きな楽しみだ。しかし、糖尿病患者であることが海外旅行を躊躇させたり、不安になってしまう人も少なくないようだ。この連載を続けていて、「旅行の準備や注意点、アクシデントがあった場合の対策を教えてください」といったご質問をいくつかいただいた。血糖コントロールが良好に保たれていれば、海外旅行を躊躇する必要はないと思う。しかし、そのための準備や対策は必要である。
旅行の準備
- インスリンを「手荷物」として携帯しておく必要があるので要注意。貨物室が飛行中に零下になると、インスリンを使えなくおそれがある。
- 万一の紛失・盗難などに備え、薬剤(インスリン、経口剤)、と器具(注射器、注射針、血糖測定器、測定チップ、穿刺針)を余裕をもって持っていく。
- 英文カ−ド、緊急時連絡先を記載したメモを身につけておく。
- 時期や目的地によってはワクチンの接種の必要がある。
- 病気になったとき(シックデイ)の対処方法も必要。
- 食事が遅れたときのための補食や低血糖時のキャンデー、ペットシュガー、ジュースなどを持参する。
- 生物、生水、氷に要注意。
- 以下のことにも注意
― ― - インスリンの調節
インスリンを貨物室に預けた場合、飛行機の預け荷物が間違えて別のところに運ばれてしまったり、目的地が同じでも自分が直行便、荷物が経由便(その逆パターンも)で運ばれたりと行方不明になることも珍しくない。ちなみに私は、米国・カナダを旅行中、2回もこの憂き目に遭った。
こうした場合、数日後に手元に戻ることが多いが、テロ対策に神経を尖らせている昨今、持ち主の現れない“不審”な荷物に対し、“温かく”取り扱ってくれるとも限らず勝手に処分されてしまう可能性もある。
紛失・盗難対策として、できるだけ分散して持っているのが望ましい。
英文カードには、インスリン(種類、回数、量)、経口薬名(一般名、用量)を英文で記載できるようになっている。海外で医療機関で診察をうける場合に役に立つ。
マラリア・デング熱など蚊が媒介しワクチンのない病気もあるので、必要によっては虫除けスプレーも持っていく。飛行中の気圧変化による爆発を避けるため、できればプラスチック容器の霧吹き状の物かウェットティッシュタイプのものがよい。
途上国では電気蚊取機が使えないので、蚊取り線香を持っていくと便利。そのときにはマッチやライターを忘れずに。
シックデイのダメージを少しでも少なくするために、風邪薬、胃腸薬、酔い止めなども持参する。欧米諸国では一般的に処方箋なしでは薬を手に入れることは不可能である。途上国では薬そのものが入手しにくい場合もある。また体質や食生活の違いから、薬の服用量が違う場合が多い。
食欲を失ったときに備え、栄養補助食(“カロリーメート”など。特に流動タイプの“ウィダーインゼリー”などは重宝した)を準備する。
先進国ではあまり問題はないが、途上国では避ける。嘔吐はケトーシスにつながるおそれがあるので要注意。
移動時間:航空機の搭乗時間が長いほどストレスも増す。
長時間航空機に搭乗する場合、旅行者血栓症(エコノミークラス症候群)のリスクも高くなるので、対策として機内を歩き運動をしたり水分補給をする。水分補給には水がよい。お茶類は利尿作用が高く血が濃くなってしまう。
時 差:食事の内容やタイミングが変わるので、からだのリズムが崩れがちになる。
環 境:ふだんより運動量が増える。日本とは医療事情が違う。目的地の医療事情について情報があれば調べておく。
食前の超速効型インスリンと眠前の中間型インスリンの単位数を調整する。 私の場合、インスリン量の決定とスライディングスケールについて、主治医に相談し指示とアドバイスをもらっている。東向きに移動する場合は1日の長さが短くなり、西向きの場合は反対に長くなる。時差と移動時間をよく計算しましょう。
海外で治療を受ける場合、いままでの経験では、まず自腹(現金)で全額払わなければならない。それから保険会社から契約時に交付された診断書となっている用紙に記入してもらい、帰国後に保険会社に提出し払い戻しを受けることになる。
手術、入院といった重症のケースで手持ちの現金が足りない場合は、保険契約書やクレジットカード、など支払い能力を示すものを提示し、医療機関と交渉すればほとんど受け入れてもらえるということを聞いている。国、医療機関によって異なるようだ。
3万円以上なら、もう少し手間がかかるかもしれない。例えば、低血糖を起こして救急車で運ばれた(国によっては救急車は有料)とか、車を運転していて低血糖を起こして事故を起こした、インスリンを現地調達するために処方箋を発行してもらった、長期滞在にあたって現地の診療所で診察を受けたなど、糖尿病に関連するものであれば、もちろん払い戻しは受けられないものと覚悟しなければならない。
- カード付帯の保険の場合、事前に“糖尿病”である旨を告知しているか否かがポイントになると思う。これから海外に行くことを考えている方は、ご自身が加入されているカード会社に直接確認してみた方がよいと思う。告知していない場合、告知義務違反を理由に免責事由を持ち出される可能性もある。
- カード付帯ではない任意の海外旅行保険については、保険会社にもよるかもしれないが、私が今まで利用した保険会社(AIU、三井海上、東京海上、安田火災 ※合併前の会社名も含まれている)では、通常申込書の右下に記入する「現在、ケガや病気で治療を受けてますか?」という類の質問事項があり、“インスリン依存型糖尿病”と毎回記入している。それでも、契約を拒否されたことはない。
しかしながら、“糖尿病”に関する払い戻しは免責事項となってしまう。さらに、「死亡・後遺障害で何千万円以上は掛けられない」、いわゆるセット掛けではなく「バラ掛け」にしなければいけないと言われたことはある。
- 実際の払い戻しについて
私の経験では、ブラジルで全く食事を受け付けなくなってしまい、診療所で点滴治療を受けたときに約150 US ドル。
フィリピンでインフルエンザを発病し下痢と嘔吐に悩まされホテルの専属医を呼び薬を処方されたとき(夜間往診手数料含む)に約200 US ドル。
韓国で生魚介類にあたり下痢と嘔吐に悩まされ点滴治療2回(うち1回は救急時間外外来)、薬の処方をされたとき=約6000円。
3回とも糖尿病との関連を問われることなく、必要書類を提出しただけで全額払い戻しされた。
旅行は自発的な行為なのだから、やはり自己責任が原則だと思う。起こりうることを想定し、そのことが覚悟できないなら、あるいはそのことを他人に責任を転嫁するくらいなら、やはり旅行をする資格はないものと思う。会社の都合で海外へ出張・転勤させられたケースなら労働災害と捉えることもできるが。
大げさな話になるが、私の場合、旅行へ行くときは(それこそ戦闘地域とは程遠い“観光地”だが)毎回死を覚悟している。拉致されて人質状態になったり、どこかへ売り飛ばされたり、なにしろインスリンがなくなった時点で死刑宣告と同じなのだから。
事故に遭って怪我をしたりしても、現地の医師がみな糖尿病の知識があるとは限らないので、助かる命も助からない可能性もある。実際、私の場合、フィリピンで医者にかかったときにインスリンを1日4回打っていることを説明したら、「フィリピンでは、通常2回打ちなのに、日本ではなんて遅れた治療をしているのだ。帰国したらぜひ2回打ちにしなさい」と言われた。さらにインフルエンザだったにもかかわらず、「フィリピンの食べ物に慣れていない日本人がよくかかる食あたり」と診断された。
仏教、そしてイスラム教にも、「事故に遭う」ということは「そもそもその事故現場にあなたがいたことに責任がある」という共通する考え方がある。この考え方は、海外への旅行にもあてはまると思う。
そして、保険でカバーできることも限界があることを覚悟しなければならないと思う。保険とは一種の“共済”システムなので、保険会社も事業体として存続しなければ他の保険契約者にも迷惑がかかることになる。
また、保険に関して、自分が病気になったとき以上に自分が加害者になったときが一番大変だと思う。もちろん、故意ではない場合である。自動車を運転していて…というのなら誰でも考え付くことだが、私の場合はこんなことがあった。
中国の蘇州を旅しているとき、同じツアーの人が自転車にぶつけられた。“運転者”は20歳代後半から30歳代前半と思しき女性で、後ろの荷台には3歳ぐらいの男の子が乗っており、接触した瞬間急ブレーキを掛けたため、後ろの荷台に乗っていた男の子が荷台から地面に落ち、口を切って流血の惨事となった。その母親は接触した人にものすごい剣幕で食って掛かってきた。接触した人は、何が起きたか分らず呆然と立ち尽くす状態で、我々のツアーの日本人たち数人が日本語で、私も英語と片言の中国語で応戦した状態。
騒ぎを聞きつけ、中国人の現地ガイドと人民解放軍の兵隊が来て、さらに騒ぎはエスカレート。日本人側は、日本人の感覚で“歩行者”であり、ぶつかってこられたのだから、こちらが被害者と主張。母親は子供が口を切って出血しているので、こちらが被害者と主張。「これから、警察で事情聴取」というところまで話が行きかけた。
団体ツアーで、時間に限りがあるため、中国人の現地ガイドが人民解放軍の兵隊にお金(恐らく袖の下、日本円で1000円程度)を渡し、旅行主催社である現地旅行社の連絡先を渡して、その場を切り抜けた経験がある。このときは、保険会社を巻き込むことなく解決できたものと思われるが、“被害者”であるはずの日本人旅行者も納得できない様子だった。文化の違いを改めて肌で感じさせられた。
日本人の感覚で、軽い気持ちで「ゴメン」などと迂闊に言ってしまうと“加害者”であることを認めたことになってしまうので、“外国”では日本の常識が通用しないことを頭に入れておかなければならない。
しっかりとした知識が必要
文化の違いということで、この旅で思い出したことがもうひとつ。
ツアー参加者の一人で、小学校5年生の男の子が下痢をしたということで、母親が心配のあまり顔面蒼白状態になっていた。中国人現地ガイド曰く、「下痢をしたときは、麻婆豆腐を思いっきり辛くして腸を刺激すればよい」と。私が「日本人は、普段唐辛子の辛さに慣れていないから、唐辛子の刺激で下痢することがある」と説明したところ非常に驚いていた。
その子の母親に下痢が水様便であったか粘便であったかを尋ねたところ、流してしまい覚えていないとのこと。その子の顔色が徐々によくなっているのを確認し、「脱水症状になっていないか」を注意し、もし発熱があれば医者に相談した方がよいと、私としては極々常識的なことをアドバイスしたつもりだったのだが、ツアー参加者は「看護婦か」と訊いてきた。
慣れない気候風土・水や食べ物、異動の疲れなど海外では体調を崩すことを前提に行動しなければならない、つまり自己責任と自分自身は思っていたのだが、みな、基本的な健康に関する知識も持ち合わせていないのかと感じた次第である。
©2004 森田繰織