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第18回 IDF(国際糖尿病連合)世界会議に参加 3

2003年08月
糖尿病 ― 世界の一大産業!

会場となった国際会議場




各国の糖尿病協会のブース

 第18回 IDF(国際糖尿病連合)世界会議が開催された国際会議場(Les Palais des Congres)はとにかく広く、昨日と同様にすごい数の人がいた。

 パリを訪れる前に、IFL のスタッフのニール・ドナランさんに連絡を取るように、ロン・ラーブさんに事前に言われていたので、だだっ広い会場の中をとにかく探すことにした。

 職場や学生時代では、糖尿病患者はほとんど存在しない状態だったが、世界中にはこんなにも多くの糖尿病関係者がいるものかと改めて感じさせられた。それも、集まっているのは、患者よりも、医療関係者や製薬メーカー、血糖測定器メーカーなど患者を取り巻く人たちがほとんどという状態である。ふだんお世話になっている先生、インスリンメーカーをはじめ、これらの産業のおかげで我々糖尿病患者が生き延びることが可能であることも確かであるが、我々糖尿病患者がこれらの人たちの食いぶちを提供してあげているんだという別の感情も湧いてきた。

 ニールさんは IFL のブースの担当者で、電子メールによれば、今回 IFL は AYUDA(American Youth Understanding Diabetes Abroad)と共同でブースを出しており、登録は AYUDA となっているので探すようにということだった。

 案内所で「AYUDA のブースはどこか?」と尋ねても、「3階か4階あたりでしょう」という返事しか返ってこない。3階は、メーカーの商品展示・デモンストレーションを中心としたブース、4階は各国の糖尿病協会を中心としたブースとなっている。

※ AYUDA の活動について、そのうちまた詳しくご紹介します。
ようやく AYUDA・IFL のブースへ

西太平洋地区:カンボジアの
ブースの前で


カンボジアとマカオのブースの前で


スリランカのブース


スリランカ糖尿病協会のスタッフ
 会場で、日本人をはじめとする東アジア人は、非常に少なかった。

 今回、中華人民共和国、大韓民国、モンゴル人民共和国といった国々のブースはなく、日本(日本糖尿病協会)、香港、マカオ(マカオはブースに簡単なパンフレットが置いてあるだけで、人はいない)が目立っていた。これらは1型糖尿病の有病率は確かに世界で一番低い地域ではあるが、2型糖尿病においては、以前雑誌「TIME」にて“糖尿病流行地域”と表現されるほど、今後糖尿病が深刻化するはずなのに「なぜなのか」と思った。資金の問題なのか、国際的な連携が必要である旨が認識されていないのか・・・。特に大韓民国は3年後の次回の IDF 会議開催国であるのに・・・。

 大学院の修士論文の資料集めのために各国の糖尿病事情に関する資料・情報を集めることも、今回の旅の目的のひとつであるため、途中でもっと各国のブースに立ち寄りたかったが、とにかく AYUDA のブースを探すまでと自分に言い聞かせ、約2時間近くかかって、ようやくブースを発見した。

 ブースには今回の担当者であるニール・ドナランさんがいた。ロン・ラーブさんからの指示で、何回かメールでやりとりしていたものの、会うのは初めてである。ニールさんは、IFL の4人のスタッフの中の1人で、ご自身は保険代理店を経営しており、糖尿病とは全く関係のない、本当のボランティアスタッフである。2メートル近い身長の大男でスキンヘッドにしているため、まるでプロレスラーのような風貌である。

 ニールさんとブースで話している間にロンさんが何回も会場を行ったり来たりしている。ロンさんは、IDF の副会長という立場もあり、非常に忙しいとのこと。ニールさんと話が弾んでいるうちにインドのドリームトラストの主催者であるペンデセイ先生がやって来た。

 ペンデセイ先生とも事前にメールでやりとりし、写真を送って現地で会おうと約束していた。前日に互いにホテルへ電話をしたものの、会えるかどうか心配だったので、一安心した。

 その夜、ロンさんの主催で、会場の向にあるホテルのバーでインフォーマルパーティーが開かれることになっており、ドリームトラストのお子さんを支援している南昌江先生とも合流することになっていた。ロンさんとニールさんから「サリー(私の英語名)に素敵なプレゼントがあるから楽しみにしていて」と言われたが、国際交流パーティの類でよくある、“その国のおみやげものを交換する”程度に思ていた。事前にロンさんから、バーで軽く飲みながらの集まりだから、食事は済ませておいた方がよいと言われていたため、各国のブースを一通り回った後、約束の時間までの時間つぶしと運動を兼ねて、それまでとは別のデリカテッセンスタイルの中華料理をテークアウトし、ホテルの部屋で夕食を済ませた。

ダグラスさん ― 1型糖尿病のパイロット

ペンデセイさん(左)とロンラーブ
さん(右)に囲まれて
 約束の時間ギリギリになってホテルのロビーに着いたものの、バーの場所がわからず、ロビーのお土産屋のレジ係りの人に場所を尋ね、やっと辿り着いた。バーに入ってもどこの席だかわからず探しているうちに、ニールさんを発見した。

 フィリピンのノエルさん、インドのペンデセイ先生も出席するとのことだったが、ロンさんとニールさんしか知っている人はいなかった。南昌江先生は遅れてくるとのことだったが、我々を発見できるか心配であった。

 ロンさんが、その場にいる人たち一人ひとりに私を紹介してくださった。アメリカ人、フランス人、スウェーデン人、フィンランド人、ペルー人、ボリビア人と欧米人参加者の中で、たった1人のアジア人という状態である。あえて、誤解を恐れずに言わせてもらえば、糖尿病の世界は、まだまだ白人中心の世界なのだと感じさせられた。

 1型糖尿病患者でありながら、プロのパイロットとして活躍しているダグラスさんも紹介された。話し方から英国人だと思い込んでいたのだが、英国出身ではあるものの現在はアメリカに住んでいるということである。飛行機の免許は英国でも取れるとのことであるが、実際にインスリンを注射している者が商業飛行機のパイロットになれるのは、アメリカとカナダだけということで、アメリカに移住したそうである。

 今から20年近く前、読売巨人軍にビル・ガリクソン投手が1型糖尿病のプロ野球選手として活躍し、当時の日本の糖尿病患者に大きな夢と希望を与えたことを覚えている人は多いだろう。そのガリクソン投手でさえも書籍『ナイス コントロール! ガリクソン投手のおくりもの』(医歯薬出版、現在品切れ)で「パイロット以外の職業は何でもできるのだから、糖尿病だからといって諦めることは何もないんだ」と書いていた。ダグラスさんにそのことを話し、「そのパイロットをあえてなさっていることは、多くの1型糖尿病患者に夢と希望を与えることにつながるので、ぜひ頑張ってください」と言った。

 するとダグラスさんは「以前、オーストラリアで会った日本の糖尿病患者さんが、日本では糖尿病患者は大学へも進学できないため、皆、病気であることを隠していると聞いた。そのような偏見をなくすため、私も啓蒙活動に力を入れたい」とのことであった。私自身は、大学受験のときも大学院の受験の時も自分が糖尿病であることは隠さなかったが合格できたこと、ただし、就職に関しては影響する可能性は大いにあることを話した。

感動のミニパーティー
 ロンさんがボリビア人の3人のスタッフたちに「サリーが主催する団体が我々に寄付してくれたお金で輸送費を捻出し、あなたたちにインスリンを送ることができました。サリーにお礼を言ってください」と紹介してくれた。ボリビアのスタッフたちは、あまり英語が上手ではなくコミュニケーションには少々困難を伴った。私のブロークンなスペイン語で話すと、とても喜んでくれ、ボリビアの伝統的な織物をお土産としてくれた。ボリビアの糖尿病患者支援機関誌に写真を載せたいと言われ、記念撮影となった。


ボリビアのスタッフと


(左から)ロン・ラーブさん、
南先生親子、ペンディセイご夫妻





右端がロン・ラーブさん、左端は
IFLメンバーのニール・ドナランさん

 いろいろな人たちと話しているうちに、インドのペンデセイ先生ご夫妻、南先生と先生のお母様たちが到着した。南先生はご自分が支援しているドリームトラストのお子さんの話を聞いているようであった。

 話が盛り上がっている中、ロンさんが「これから、我々の支援者であり、功労者である国際糖尿病支援基金の会長サリーにプレゼントを渡します」と言い、皆が注目する中、感謝の言葉が掘り込まれた盾の贈呈式となった。結構立派な盾であり、全く予期せぬ大きなプレゼントに非常に感動してしまった。

 たまたま、国際糖尿病支援基金の会長として、その場にいた運びであり、決して私一人の力で、できたことではないので、私一人で盾を受け取るのは非常に気が引ける思いが強かったと同時に、それまで協力してくださった方々すべての人たちが、この場にいたらどんなによかっただろうと思いながら盾を受け取った。この感動を私が一人占めしてしまったことに罪の意識すら感じてしまった。それまで協力してくださった方々に報いるためにも、決意新たに国際糖尿病支援基金の活動をますます発展させていかなければならないと思った。

 その夜は感動と興奮のあまり、なかなか寝付けなかったことは言うまでもない。時差さえなければ、この覚めやらぬ興奮をすぐにでも基金のスタッフや協力いただいた方々に電話をしてでも伝えたい気持ちで一杯だった。
©2003 森田繰織
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