第18回 IDF(国際糖尿病連合)世界会議に参加 2
2003年08月
2003年8月にパリで開催された IDF(国際糖尿病連合)主催の国際糖尿病会議に出席したときの話しの続きです。
朝食、難儀よのぉ〜
翌朝、8時半ごろ目覚める。時差があるとはいえ、普段、5時に起床し朝食を取る身からすればかなりの朝寝坊である。ホテルの朝食を採るため、地下の食堂に行く。洋風ホテルに良くあるバイキング形式であるが、品数は多くなく、カロリーを押さえ、腹持ちを良くし、そして血糖上昇を抑えるために何を選ぶかが非常に難しい。
表1は、クロワッサン・フランスパン・食パン・パイのようなジャムの掛かったパン数種類、クラッカー、コーンフレーク(プレーン、昔“シュガーポン”という名でケロッグ社から売られていた砂糖入り、干し葡萄も含めたナッツ入り)と言う具合である。
表2は、直接フルーツは無く、オレンジジュースとグレープフルーツジュース
表3は、スクランブルエッグ、ベーコン、チーズ
表4は、牛乳、ヨーグルト
表5は、パンに塗るバター。強いて言えば、ベーコン、スクランブルエッグに含まれている油脂
表6は、全然無し
選んだものは、フランスパン、腹持ちを良くするためと食後の血糖の急上昇を抑えるためにバター、オレンジジュースコップ半分(血糖は上昇してしまうが、ビタミン摂取のため)、スクランブルエッグ、ベーコン、チーズ計2単位分、ヨーグルト、ビタミン・ミネラル・無機質類補充のためナッツ入りコーンフレーク少々といった具合である。
食前血糖は、114mg/dL、ノボペン300R 4単位、ペンフィルR 3単位を打つ。残りの日程の朝食は、毎日、このパターンで採ることになる。それでも、血糖は、昼食前いつも180mg/dL前後となってしまい、花の都での朝食は本当に難儀よのぉ〜。
いつだったか、クイズ番組で、「あるヨーロッパのホテルでは部屋にチョコレートを常備しているがなぜか」という問いがあり、「糖尿病患者が多くいるヨーロッパでは、低血糖を起こして気分が悪くなるお客様が多く・・・」という答えがあったのを思い出したが、ホテルの朝食を見る限り、糖尿病患者に対する配慮は疑問と言わざるを得ない印象である。
この後、野菜と果物の補充は、近所のアラブ系の人と思しき人が経営する八百屋兼雑貨屋にて、トマト・バナナ・オレンジを購入し、部屋の冷蔵庫に保存し、食べることとなった。
いざ会場へ
ご存じ凱旋門 |
会場となった Palais des Congres de Paris |
表の大きな |
しかし、中へはいるも会場は非常に広く4フロアもある上に人が非常に多い。前々回のフィンランドで開かれた IDF 会議とは、規模からして全然違うと感じた。さすが花の都パリである。
前日、旅行会社の人からは「入り口の所で待ってます」とだけ言われていたため、インフォーメーションセンターのサインを見つけるも、何と質問してよいか迷う。とりあえず、「登録したいのですがどこへ(英語で)」と尋ねると「4階へ」という回答があり、4階へ行く。
ところが、4回も非常に広く、人も多く、どこへ行ったらよいのか迷った。事前登録済み、当日登録、その他とデスクがいくつか分かれおり、それぞれが長蛇の列となっている。これでは、旅行社の人を捜し当てるのは至難の技と思いながらもキョロキョロしていたところ、どうにか見つけることができた。
長蛇の列に並び、やっと順番が来たところで、メールで送られてきた登録番号を言ったところ、学生登録できちんとなされており、請求金額も確認した。登録を巡り、一悶着を覚悟していただけにホットした。
イッツ・ア・スモール・ワールド
今回の旅は、 IDF の会議に参加し、情報収集し、修士論文の材料とし、国際糖尿病支援基金の活動にも役立てて行くことが第一の目的であるが、もちろん「よく学び、よく遊べ」がモットーである私は、パリの観光も楽しみの一つである。前回、行きはぐった「カタコンブ(地下墓地)」「モン・サン・ミッシェル(世界遺産の一つでもある中世の建築された教会)」へ行くための情報を旅行会社の人から聞くため、登録デスク近くの休憩所のソファーに腰掛ける。
「モン・サン・ミッシェッル」については、1日バスツアーに申し込むこととなった。朝6時にオペラ座近くの旅行社事務所前を出発してしまうので、集合時間厳守してくださいとのこと。その時間にいなければ、キャンセルと見なされ、バスが出発してしまうとのことであった。
左はノエルさん、右はロン・ラーブさんです ノエルさんはフィリピンで1型糖尿病の患者さん組織の会長です ノエルさんとの交流については下記に掲載されています。 http://153.122.1.181/kaigai/sekai/sekai05.htm |
声をかけるとノエルさんも覚えていてくれて、約4年ぶりの再会に互いに感激した。 事前にメールで確認すれば良かったのだが、私も仕事と大学院の勉強で忙しかったのと登録の件でバタバタしており、すっかり連絡せずじまいとなっていた。こんなに広く、しかも人が多い中、全く連絡しないまま、会うことができた偶然に驚くとともに感激した。
登録証の入ったビニールケースの中に「IDF 2003 Paris」と書かれたバッグ(前日、凱旋門の上でアメリカ人が持っていたものと同じもの)の引換券が入っているので、引き換えてくるようにノエルさんから教えてもらいバッグを手にした。これで、私も「同じ穴の狢」となった。
ノエルさんと話しているとノエルさんが急に「ロン!」と叫んだ。見ると、あのロン・ラーブさんがこちらに向かって歩いてきていた。ロン・ラーブさんが我々に気付くなり「オー!イッツ・ア・スモール・ワールド!」と言いながらハグ(抱きかかえる欧米式の挨拶)してきた。互いに感激しながら、記念撮影した。
ロン・ラーブさんは、その日の朝、パリに着いたばかりで、準備に忙しいとのことで、そこで分かれた。 ノエルさんも、その日の朝、パリに着いたばかりとのことであったが、丁度、昼食時ということもあって、一緒に昼食を食べてから、夜の開会式まで仮眠をとるということになった。
預言者ノエル?
ノエルさんと共に昼食を取るため、会場を後にする。後に会場内の地下にも軽食屋や日本風に言えばデパ地下なるものがあり、お惣菜をテークアウトできることも知るのだが、このときは、まだ知らなかったため、日曜日でほとんどの店が閉まっている中、私の宿泊しているホテルの方向へ向かって歩き始めた。互いに1型糖尿病患者の身。バランスの取れた食事をしたいということで、野菜が豊富である昨晩のデリカテッセン式の中華を提案したところ、そこへ行こうということになった。
チャーハン、ビーフン、海老と野菜のマリネ、ブロッコリーと人参とピーマンとマッシュルームの炒め物、ノエルさんはダイエットレモンファンタ、私はミネラルウォーターを注文し、備え付けのナイフとフォークとスプーンを持ち、店の外のテーブルに腰掛け食べようとしたところ、店の人が気を利かせ、中国箸を持ってきてくれた。
ノエルさんに日本の箸との違いを説明し、日本人にとっても慣れないと使いにくいことを説明した。それでも、お店の人の好意を大切にしたいと思い中国箸を使うことにした。
互いに血糖を測り、1日2回打ちのノエルさんはインスリンを打たなかったが、私は血糖値127、ノボペン300R8単位、ペンフィルN2単位を打ち、いただきま〜すという運びとなった。
同じアジア人であっても、スペイン、アメリカの植民地支配を経験し、カトリック教徒が多い東南アジアのフィリピンと、広義では中華文化圏に属する東アジアの日本。箸を使う使わないを始めとし、濃い味付けを避け食材に近い味を大切にする和食文化圏の私と、チャーハンにまで醤油や辛子入りケチャップを大胆に振りかけて味付けするアメリカナイズされた食文化圏のノエルさん。
飲み物は水かお茶のように味がないものでないと、渇きが癒される感覚がない私(多くの日本人も恐らく同じ)と、水の代わりにコーラを飲む南北アメリカ・東南アジア・アフリカ(私の経験からして)の感覚からダイエットファンタを選んだと思われるノエルさんと、随分違うものだと改めて思った。
年齢も近いこともあり、食事が終わっても話が盛り上がってしまい、なかなか席を立てない。ノエルさんにガールフレンド(恋人)ができたとのことで、それは良かったという話になる。我々の最大の関心事である、糖尿病に対する理解はあるのかと尋ねたところ、時々理解してもらえないことはあるものの大体理解してくれているとのことである。
結婚を考えることはあるのかと尋ねたところ、意識しないわけではないが付き合い始めて1年も経っていないので、これから本気で考えなければならないとのことであった。
対話と言うのは、一方通行では終わらないため、当然、私も自分のことを話さなければならなくなった。残念ながら、現在、ボーイフレンドはおらず、当然ながら結婚の予定もないことを話した。すると、「それだけ美人で聡明なひとがなぜ結婚できないのか」という月並みの質問が返ってきた。
こればかりは縁(英語では説明しにくいため、“神が定めた運命”と表現した)だから仕方がないと答えても、なぜ、なぜ、と、なかなか納得してくれない。結婚となると、どうしても糖尿病であることも不利な条件となるむねを説明しても「あなたの美しさと知性はそれを上回る魅力だ!」と何とも嬉しいことをいってくれるではないか!
リップサービスといえども単純な私は、天に舞い上がらんばかりに、すっかり気分が良くなってしまった。思えば、これが自信につながり、後日、各国ブースを回るときも、終始にこやかな表情でいることができたことが、大きな成果へとつながったのだろう。
ノエルさんの話では、40歳になる彼のお姉さんが急に結婚が決まったとのこと。自分で中華料理の配達形式の飲食店(日本風にいえば、仕出し屋といったところか?)を経営し、自立しているので、おおよそ結婚なんて考えられなかったそうだが、今年2月に知り合い、来年5月に結婚式を挙げるとのこと。
人間、いつ何時、出会いがあるかわからないし、また、年齢ではないと四十路に近い私に、これまた何とも頼もしい励ましの言葉をかけてくれたのだ。そして、「この旅行中に絶対に運命の人と出会えるから」と、これまた嬉しくなる言葉をかけてくれた。
実は、この昼食に全部で18ユーロ程かかり、割り勘となったのだが、ノエルさんが、9ユーロ(日本円で1350円くらい)もあれば、フィリピンでは5人家族の1週間分の食費が賄えると言ったのだ(フィリピンの糖尿病の治療事情については、別添「フィリピン報告」を参照していただきたい)。
決して、金銭的には豊かと言えないフィリピンの人から“経済大国”であるはずの日本から来た私がこんなに励まされ、勇気付けられとは、何と情けないことか。キリスト様の教え「人はパンのみに生きるにあらず」ということを実感せずにはいられない。
熱心なカトリック信者であるノエルさんは、日曜日なので、ミサは終わってしまっていても教会があればお祈りだけでもしたいと言ったので、昨日、“探検時”に見つけた小さな教会へ行った。ノエルさんに倣い私もお祈りした。教会の鐘が鳴り、ノエルさんが「あなたの運命の人が現れることを神様に祈ったところ、こうして鐘がなったのだから、この鐘はあなたのウエディングベルとして祝福の鐘としてとらえるように」と言った。
ノエルさんの本名であるエマニュエル(インマヌエル)とは、キリストの別名、つまり救世主という意味らしい。思えば、国際糖尿病支援基金設立も前々回のフィンランドで開かれた IDF 会議でノエルさんと出会ってなければ、実現していなかったかもしれないことを考えると、私にとってノエルさんは、神様のお使い、仏教式に言えば三十三変化の観音様(観音様は、その人を正しい道へ導くために、あらゆるものに姿を変えて現れるという信仰)の一人なのかもしれない。
夜の開会式が始まる15分前にノエルさんの泊まっている IDF 会議場の直ぐ向のホテルのロビーで待ち合わせの約束をし、一旦別れた。
©2003 森田繰織