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混沌と生きるエネルギーに満ち溢れる国 バングラデシュ 2

2003年06月
バングラデシュ
面積 14万4,000km2 人口 約1億3,000万人
5. 贅沢なひと時 ガンジス川クルージング

 次の日、タクシーを借り切り、郊外の村へ出かけた。田園地帯を通り過ぎ、日本の協力で建設したというガンジス川にかかる橋を渡った。橋げたが非常に高く感じたが、雨季にはガンジス川の水位が高くなるため、丁度良くなるしい。


市場の人々
 村に着き、派遣されている協力隊員の方の案内で村の市場や共同浴場兼洗濯場(大きな水溜りにしか見えないのだが)を見ながらガンジス川のクルージングのための船着場へ。色々な人が話しかけてくるのだが、言葉が分からず答えられない。村には電気がなくテレビもないことから、人々は情報から隔離されている。村に派遣されている協力隊など日本人スタッフはみなベンガル語が話せるため、我々もベンガル語を話すと思われているらしい。

ガンジス川の渡し舟
 木造の乗るのに少々不安を覚えるような渡し舟として使われている船へ乗船。一応、エンジンで動いている。ガンジス川といえば、多くの日本人はインドのベナレスでの沐浴シーンを思い浮かべるだろう。その風景は、まっ茶色に濁ったガンジス川である。しかし、私がクルージングしたガンジス川は、日本の利根川や江戸川とあまり変わりなく、透き通っているわけではないが、どちらかというと日の光を浴び青く見える。

渡し舟にゆられて
 ポカポカ陽気に良い気持ちになり、居眠りしてしまいそうになるが、観光客用の遊覧船ではないため手すりも何もないため、居眠りしてしまうと川へ転落してしまう運命にある。途中、川イルカが跳ねるシーンを数回目撃した。川岸では子供達が水浴びし、洗濯している人もいる。

 村へもどり、協力隊員の方の住まいにて、昼食をご馳走になったが「ビリヤニ」と言われる炊き込みご飯の一種で、素焼きの坪で、新鮮な地鶏を煮込んでいるので非常に香ばしく美味であった。カレーほど油分は多くないのだが、あまりに美味しくご飯が進んでしまい、後に血糖上昇の憂き目にあった。

 ダッカへ戻り、日本の鹿島建設が建設したというシェラトンホテルで夕方のひと時を過ごす。

6. ダッカをあとに

 翌朝、私にしては珍しくは早く目が覚め、出発までに時間があったため、ゲストハウスの周りをひとりで散歩した。高級住宅街の中を300メートルも歩いたところ、筵で囲っただけの家々が密集し、広がっている光景が目に入り愕然とした。ゲストハウスに戻ってきたのは、いつも夜だったため明かりのない彼らの住まいの存在に気がつかなかったのだ。あまり近づく勇気もなかったので、遠目にしばらくしてゲストハウスへ戻った。

 空港で搭乗前にボディチェックが行われ、女性は女性係官のいる試着室のようなところへ通された。係官が首掛けパスポート入れに入れてあったペンフィル注射器を見て不思議そうに首を傾げていたが「ペンか?」と聞かれたので、「そうだ」と答え、そのまま搭乗し、バンコクへと向かった。

 その後、タイのパタヤビーチで3日過ごし日本へ帰った。パタヤでは体調がすぐれなかったが、発熱覚悟で一日中海でシュノーケリング、ジェットスキー、パラセーリングと日本円にしてトータルたった5000円で遊んだ。遊んでいるうちに体調が良くなってしまい、夜にはすっかり元気になっていた自分に気がつき驚いた。「病は気から」とは良く言ったものである。

 今回バングラデシュを訪れるまでは、バングラデシュ人は「世界最貧国の国で貧困にあえぐ可哀想な人達」というある種の偏見をもっていた。しかし実際に訪れてみると物質的には確かに貧しいかもしれないが、「生きることに一生懸命でそのためのエネルギーに満ち溢れる人々」という印象をもつこととなり、「可哀想な人達」という感覚は間違っていたように思った。「生きることに一生懸命」という点においては、むしろ日本を含む物質的に豊かな先進国の人間の方が忘れようとしていることかもしれないと感じた。物質的に貧しくても人間は生きてゆけるという、私が忘れかけていた、ある種のエネルギーを与えてくれたバングラデシュの人達に感謝しなければならない。

7. 異文化交流・理解はやはり難儀よのぉ〜

 今回のバングラデシュへの旅がきっかけとなり、翌年、フィンランドで開かれた IDF の国際会議に出席した際、バングラデシュ人の歯科医師と友人になることができた。

 彼を通じ、バングラデシュの糖尿病事情を色々知りたいと思っているのだが、超上流階級の彼には一般の庶民のことはあまり関心がないとみえて、なかなか私の欲する情報を教えてもらえないでいる。バングラデシュ人であってもヒンズー教徒である彼の感覚としてはカースト制の考え方が支配的で身分差は当然のことと捉えているのだろうか。ここでも自分の理想とする国際協力の難しさを感じざるをえないでいる。

 しかしながら、国際糖尿病支援基金としては、人種・民俗・宗教・国境などあらゆるバリアを越え、同じ苦しみをもつ同胞達を支援する道を追究する方向は守らなければならないと思っている。道は険しいが進まねばならない。私に忘れかけていたエネルギーを与えてくれたバングラデシュの人達に報いるためにも。

8. 協力、信頼、そして人生の豊かさを得るために


お世話になった方々と
 今回の旅行は、糖尿病でインスリン注射をしている私と一緒に“世界最貧国のひとつである秘境”とも言えるバングラデシュという国に勇気をもって同行してくれた、N氏をはじめとするテニス仲間達、そして私を信頼して糖尿病の証明書を発行してくれた主治医の協力があって達成することができたと信じている。この場を借りて感謝の念を示したい。

 また、私自身もインスリンを注射しながらバングラデシュのような国にも行けるという自信を得ることができ、その後色々な“秘境”を旅することへつながることとなった。旅行エージェントでさえ、「バングラデシュへ行ったこともあります」と言うと「それなら大丈夫ですね」という反応が返ってくるのである。

 もちろん“信頼”を得るためには、普段のコントロールが大切であることは言うまでもない。仕事や人間関係など様々なストレスから、ともすれば、自暴自棄になり、コントロールが乱れることもあるが、大好きな旅行をするためには、良いコントロールをしなければならない。何でも良い、人生の目標ないし好きなことを持つことが大切である。糖尿病をコントロールするための人生ではなく、目標を達成するため、または好きなことをするために糖尿病をコントロールしなければならないのだから。
©2003 森田繰織
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