カンボジアと言えば、世界的に有名なアンコール・ワットの遺跡を思い出す方も多いと思います。私自身も1990年代後半に、アンコール・ワット遺跡群とプノンペンの街を観光で訪れたことがあります。当時は、内戦終結後間もない時期で、まだ遺跡の周辺でさえも地雷が数多く残っており、内戦、特に地雷のために障害を負った人達を多数目にしました。
「Sokhann, a woman with diabetes in Cambodia」(Diabetes Voice IDF)より、一部翻訳
カンボジアの糖尿病患者女性ソクハンさんは、
今頃、何処でどうしているのでしょうか・・・
病状が進行し左足を失ったソクハンさん。患者さんの多くは糖尿病の怖さを知らない
ソクハンさん(写真)が最初にプノンペン市内にあるコッサマク病院で診療を受けたのは50歳の時でした。彼女は、首都プノンペンから約315キロ離れたカンボジア北部のクラティ州、クロング地区に住んでしました。
彼女の主治医で糖尿病専門医であるセレイ・セン医師は彼女と携帯電話で連絡を取りあっていましたが、最近音信が途絶えてしまいました。単に携帯電話が使用できない状況にあるのかそれとも、彼女の身に何かが起きたのか…
カンボジアでは、総人口の半数は1日2ドル以下で生活をしており、ソクハンさんもその一人です。カンボジアの若い世代とは異なり、彼女の年代は家事や子育てに勤しむ保守的な世代です。
ソクハンさんは、1997年に糖尿病と診断され大変なショックを受けました。主治医のセン医師に出会うまで、彼女は糖尿病専門医を始め、糖尿病の専門知識を持つコ・メディカルやエデュケーターと接する機会がありませんでした。カンボジア政府は、糖尿病や非感染症よりもエイズ・マラリア・結核と言った感染症ばかりに関心を向けています。
そのため、ソクハンさんがかつてそうであったように、カンボジア人女性の71%は、この「サイレントキラー」について、何も知らないのです。
糖尿病と診断されて以来、彼女は適切な治療も教育も継続的なフォローアップも受けることなく、過ごしてきました。ソクハンさんの夫は、バイクでアイスクリームを販売する仕事をしており、収入は1日1ドルです。夫の収入では、診療所に行くことはおろか、インスリンを購入することもできません。ソクハンさんが生きるために、親戚中からお金をかき集めて、近所の薬局で、15ドル−20ドルの10ml入りのインスリンバイアルを購入しなければなりませんでした。このインスリンの費用は、一家の1か月分の生活費に相当します。 次第にソクハンさんの体調が悪化したため、彼女の夫はプノンペン市内の病院で治療を受けるために交通費や治療費を工面するために大事な商売道具であるアイスクリーム販売用のバイクを売らなければなりませんでした。
続きはこちら 国際糖尿病支援基金「カンボジアの糖尿病患者さんについて」
国際糖尿病支援基金 森田繰織会長 「わが友、糖尿病」
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