代表世話人および初代理事長として施行してきたこと
―1985年~2005年3月31日―
東京女子医科大学名誉教授
初代理事長
大森 安恵
昭和60年、1985年「糖尿病と妊娠に関する研究会」ができるまで。
昭和35(1960)年
死産の悲しみと妊娠中糖尿病の診断もされず死産を経験した二人の患者さんの受け持ちになり、悲しみの共有が、糖尿病と妊娠の分野を開拓する動機になり、書物、欧米から学びこの道を開いてきた。
昭和39(1964)年2月
東京女子医科大学病院の糖尿病妊婦から第1例出産。急速に症例が増加
昭和46(1971)年
糖尿病学の進歩に毎年「糖尿病と妊娠」の講演が入れられ、1997年まで演者は必ず大森安恵であった。昭和46(1971)年より大森の定年間近い1995年まで、5年に1回「わが国における糖尿病妊婦分娩例の実態」をアンケート調査。対象はベッド数200床以上で産婦人科を有する全国官公私立病院。1971年代の周産期死亡率は10,8%から20年後には1.1%に減少したが奇形率は6%前後で不変。
昭和57(1982)年
第25回日本糖尿病学会(北海道)からプログラムの中に「妊娠」のSessionを設置して頂いた。
昭和50(1975)年
ヨーロッパ糖尿病学会(EASD)の中にStudy Groupがありその一つとしてDiabetic Pregnancy Study Group (DPSG)が存在、Pedersen教授の推薦で第7回から毎年発表し10年後の1985年、
N,Freinkelとともに正式会員になった。このDPSGを見習って日本に「糖尿病と妊娠に関する研究会」を設立することになる。
昭和60(1985)年「糖尿病と妊娠に関する研究会」設立。
設立者:東京慈恵会医科大学第三内科助教授・池田義雄、東京都済生会内科医長・松岡健平、東京女子医科大学糖尿病センター教授・大森安恵の3人が協力して設立。
代表世話人:大森安恵
昭和60(1985)年12月 第1回糖尿病と妊娠に関する研究会開催。
世話人:大森安恵、招待演者:IDFのPresident-elect,Josef Hoet教授
この研究会は第16回2000年12月まで続き、平成13(2001)年、糖尿病と妊娠に関する知識の普及、研究、臨床レヴェルの向上を推し進めるため「日本糖尿病・妊娠学会」に変革した。研究会の詳細は大森安恵著「糖尿病と妊娠の医学:糖尿病妊婦治療の歴史と展望第3版」文光堂、2020年19頁にあり。
この研究会の期間中特筆すべき大きな出来事が二つあげられる。
平成6(1994)年12月
第15回国際糖尿病連合会議(IDF)のあとサテライトシンポジウム的に行われた第10回研究会記念大会は世界5カ国から演者を招集し国際的な大会になって、討論が幅をましたので、外国の演者に大変好評で国際糖尿病・妊娠学会(International Association of Diabetes and Pregnancy Study Group ;IADPSG)が発会するきっかけとなった。
世話人:大森安恵、場所:京王プラザホテル
特別講演;Prof. Sebastiano Grasso, シンポジウム;世界はいま
演者;Dr. Jeremy Oats, Clinical Prof. Lois Jovanovic-Peterson,
Associate Prof. Bengt Persson, Prof. Hamish Sutherland(この方は欠)
平成9(1997)年7月
アメリカ糖尿病学会(ADA)が糖尿病の新しい診断基準と分類を提出した。1999年、日本糖尿病学会もこれに準拠して新基準が発表されたが妊娠糖尿病の定義は白人にしか適応されないものであった。
日本のある高名な産婦人科医がアメリカと同じにしないと、日本は国際孤児になると主張、混乱を極めた。大森は断固反対しDr. Jovanovicと共同研究まで行った。その後、IADPSGがglobalに通用する正しい研究発表を行い、2010年にようやく世界が一つになれた。
平成9(1997)年5月
第40回日本糖尿病学会会長に大森安恵が女性で初めて学会長になり会長講演で糖尿病と妊娠の問題を取り上げた。
会長講演:私のライフワーク
陽は昇り、陽はまた沈む ー糖尿病と妊娠に関する臨床と研究--
平成11(1999)年
研究会を学会化するための準備を各分野で開始。
学会のロゴマークを杉山光章氏が制作。会報を年2回発行することに決定。
糖尿病と妊娠に関する研究会会報:創刊号発行、編集長穴澤園子、
巻頭言:研究会を学会にして妊娠時の糖代謝異常から母児を守ろう。大森安恵
平成12(2000)年11月
研究奨励賞のため大森が60万円寄付
第1回研究奨励賞「大森賞」が施行される。 平成12(2001)年
学会誌のデザインは杉山光章に依頼、大森が決定。2001年1巻1号が1月に発行さる。学会誌の編集長は穴澤園子
会報も4号から日本糖尿病・妊娠学会会報となり、編集長は小浜智子に交代。
「糖尿病と妊娠に関する全国調査ワーキンググループ」の発足、年次学術集会への参加にて「日本糖尿病療養指導士認定機構」の認定単位が取得が可能となる。
平成14(2002)年
本会のホームページを開設し、インターネット委員会が発足。厚生労働省事業「健やか親子21」への参加開始。
平成16(2005)年4月
中林正雄2代目理事長と交代、以後 大森安恵は名誉理事長となる。
2007年より実施された「糖尿病の予防・検出事業」(日本糖尿病財団との共同事業)も大森安恵の提案による。
2021年06月 更新